トップページ > 目次 > "若さ"とは何か?

「ロックで学ぶ現代社会」rock meets education

第1部 『現代社会における人間と文化』〜現代社会の特質と青年期の課題

著者イメージ

第1章 "若さ"とは何か?

1.森光子さんは若い?!

1.幼児2.小学生3.高校生
4.オリックス清原選手5.安倍晋三官房長官6.森光子

「若さ」とは一体何だろう?「若い」ってどういうことだろう。たとえば,ここに6枚の写真がある。よく見てもらいたい。  さて,そこでひとつ問題を出してみよう。

 ◎問題 「この中で"若い"と思われるものに○をつけよ」

 いくつでもいい。この6枚の写真の中で,あなたが"若いな〜"と思う人に○印をつけてみよう。いくつ○がついただろうか?きっと,教室では次のような会話が交わされることだろう。

*Aさん 「1.と2.と3.です。」

*大 坂 「どうしてかな。説明してください。」

*Aさん 「だって,1.の赤ん坊と2.の小学生が若いのは当たり前だし,3.の高校生も"青春"の真っ盛りにいるって感じでしょう?でも,オリックスの清原選手はもうすぐ40歳だし,安倍さんや森光子さんは,問題外じゃないですか。こんなの,誰がやったって同じ答が出ますよ。」

*大 坂 「さて,本当にそうかな?B君はどう思う?」

*B 君 「うーん…1.と2.は確かに若いけれど,それ以外もどうかなぁ…。清原選手なんてウチのお父さんと同じくらいの年齢なんだけれど,40歳を越えてるにしては若いと思うよ。だって,ウチのオヤジなんてすっかりジイさんだもの。
  それに,森光子さんは年をとってるのは確かだけれど,何かすごくカワイイイって思わない?クラスの女の子よりも,ずっと元気はつらつだもの。僕は4.と6.にも○印をつけたいね。」

*大 坂 「安倍さんは,人気がないね。やっぱり"お年寄り"なのかな?」

*Aさん 「だって,政治家なんてみんな年寄りじゃない?20代の国会議員もいるみたいだけれど,議員になんかなったらもう年寄りよ。」

*大 坂 「これは厳しいね。B君はどうかな?」

*B 君 「それまでの政治家に比べたら確かに"若い"と思うけれど,それはあくまでも比較の問題でしょう。やっぱり40代のオジサンを"若い"と言うのはヘンだと思います。」

 さて,あなたはどう思うだろうか。"人間はいくつから「若い」といえなくなるのだろうか?"…ここでは最初にその問題から考えてゆきたい。

 まず3.の高校生については,これはまあ"若さ"の真っ只中,"青春時代"そのものと考えていいだろう。しかし,オリックスの清原選手になると38歳(2006年現在)。もはや普通に考えれば「若者」ということはできないだろう。清原選手のバッティングはただ「若くない」だけでなく「老練」でさえあり,プロ野球界では「年寄り」と呼ばれることさえある。それでは安倍官房長官についてはどうだろうか?安倍さんは40代である。40代と言えば一般社会ではそろそろ「年寄り」と考えられることが多い。少なくとも誰も「若い」とはいってくれないであろう。しかし,その安倍さんは40歳代で首相の座をうかがっている。かつて首相は派閥の長が順ぐりに務めるものであり,たいていは60代,中には70代の人もいた。それを考えると40歳代の総理大臣候補は極めて「若い」のである。高校生の「若さ」とはまったく違った意味ながら,少なくとも安倍さんは「非常に若い」総理大臣候補である。さらに85歳の人気女優森光子さんについてはどうだろう?彼女は85歳であるから当然お世辞にも若いとは言えない。しかし,あの姿を見ているとどうだろう。本当に「カワイイ」という言葉がぴったりするような魅力的な女性である。森さんを「若い」と思う人がいることに何の不思議もない。このように考えてくると,「若さ」と言う言葉には肉体的な意味だけではなく,何か別の特別な意味合いがあると考えてよいのではないだろうか。

 それでは,どうして安倍さんが「若い」政治家で,森光子さんが「若い」"お年寄り"と呼べるのかその理由を考えてみよう。

 一言で言えば,高校生が「若い」理由は,彼ら彼女たちがいまだ成長の途上にあるからと言うことができる。高校生ぐらいの年齢では,人間は,肉体的な意味だけではなく,精神的・社会的にもまだまだ完成した"一人前の"人間とは言い難い発展途上の状態にある。まだ完成しておらず,やがて訪れる完成の時期を目指して努力・前進すること−それこそが「若さ」と言うことができるのではないだろうか。そうしてみると,どうして38歳の清原選手が"年寄り"で40過ぎの安倍官房長官が"若い"のかが分かってくるだろう。つまり,清原選手は肉体的な年齢は別としても,ことプロ野球の選手としてはすでに完成の域に達し,敢えて言えば盛りを過ぎて衰えつつある。これがつまり彼が"若くない"理由である。ところが一方安倍官房長官を例にとってみれば,彼は総理大臣候補として異例に年齢が低いだけでなく,政治家としてもまだまだ発展する余地を残している。これがすなわち安倍さんが"若い"理由なのだ。同じく80歳を過ぎた森光子さんが"若い"のも,彼女が80歳を越えたヨボヨボの「老婆」のイメージを一新し,元気ハツラツとしてまだまだこれからもう百年でも元気で活躍しそうな気がするからだ。それこそが,森光子さんの"若さ"の理由である。

2."若い"子ども?

 ここで再び,教室に戻ろう。

*大 坂 「さて,これでどうやら"若さ"とは"発展・成長の途上にあって未来に可能性を残している状態−ということが分かってきたね。」

*Aさん 「はい。"若い総理大臣"とか"若いお年寄り"なんていうのは確かにおかしな表現ですけど,これからますます活躍が期待できる人っていう意味なんですね。」

*B 君 「本当にね。1.の赤ん坊なんてもう80年ぐらい活躍が期待できるんだから若さの固まりみたいなものですね,先生。」

*大 坂 「うーん,本当にそうなのかな,B君?」

*B 君 「だって,今先生がそう言ったじゃないですか。」

*大 坂 「まあそう怒るな。赤ん坊や2.の小学生は,確かに確かに発展途上にあることは間違いない。でも,赤ん坊時代を"青春時代"と呼べるかな?」

*Aさん 「何か保育園の子どもたちが,ラグビーボールを夕日に向かって蹴ってるところを思い浮かべるわ。」

*大 坂 「ははは,昭和40年代の"青春ドラマ"の世界だね。スポーツに熱中し,友情は何よりも大切なもので,憧れの人のことを想うと胸がキュンと鳴って,何だか分からないけれど世間の不正とかにやたらと腹が立って,人生について悩み…。でも,そんな幼稚園児っている?」

*B 君 「まさか?幼稚園の帰り道に,空を見上げて『人生って何だろう?』なんて考えている園児がいたら気持ち悪いよ。」

*大 坂 「つまりね,ただ年齢が低ければそれで"若い"と言うのとはちょっと違うと言うことなんだ。"若さ"と"幼さ"は違うものじゃないかな。」

*Aさん 「えー,何だかよく分からなくなってきたけれど,それじゃあ"若い"って一体どういうことなんですか?」  

3.危機の時代

 実際「"若い"赤ん坊」というものは存在しない。赤ん坊は"若い"のではなく"幼い"のだ。高校生は自分で自分のことを発展途上であると認識し,成長のために努力をしようとする。その努力する姿こそが"若さのエネルギー"に満ちた姿ということができるだろう。そこには,「ここに,発展途上にある"自分"というものが存在することは分かっているけれども,その"自分"がどんなものなのか,その"自分"がどんなものになるのかはまだ自分でも分からない」という悩める青年の姿がある。しかし,赤ん坊や小学校低学年までの児童にはそれはまだない。彼らは何も考えることなく,毎日を楽しく過ごしているだけなのである。ところが,人はいつのころからか,ここに他人とは違う唯一無比の"自分"というものが存在していることを知る。これを"自我"(エゴ,ego)と呼ぼう。ところが,その"自我"はいまだ成長の途上にあり,自分自身でさえ自分がこれからどういう方向へ進んでゆくのか見当もつかない。一体自分はどんなヤツなのだろう?自分は将来何になるのだろう。それを考えるととても不安になる。だからこそ腹も立ち悩みもする。"自我"の存在には気がついたけれど,まだ"自分は一体何者なのだろう""自分は将来どうなるのだろう""自分はこれからどういう人生を歩んでゆけばいいのだろう"ということは分からない。そういうことがすべて分かった状態を"アイデンティティ(identity)を確立した状態というが,青年期にある人間にはそれがまだ分からない。だからこそ,若者は悩み苦しむのだ。

*Aさん 「難しいけれど,とりあえず"若さ"とはどんなことかは分かりました。つまり,空を見上げて『人生って何だろう?』って考えるようになったら"若者"なんですね。」

*B 君 「でも,それって何歳ぐらいからのことなんですか?僕はいまだにそんなこと思ったこともないけれど。」

*大 坂 「基本的に"若さ"とは"成長期における姿"ととらえることができる。そうしてみると,Aさん,君が今までで一番身長や体重が成長したのはいつごろのことだったかな?」

*Aさん 「えーと,たぶん小学校6年生か中学1年生のころだったと思います。もう身長の伸びは止まっちゃったし…」

*B 君 「体重はまだ増えてるだろう?」

*Aさん 「ウルサイ!えー,ということは私の"青春"はもう終わっちゃったってことですか!ショックー!」

*大 坂 「ははは。まあそう言うな。ただ,肉体が成長するのと"青年期"というのは決して同じことじゃないんだから。」

*B 君 「だって,今先生がそう言ったじゃないですか。」

*大 坂 「まぁまぁ,そう怒るな。確かに"若さ"とは成長しつつある状態,発展途上にあるということだとは言った。でもね,実は君たちの身体が,今までにもっと激しく成長した時期があるだろう?

*B 君 「えー,覚えがないですけど…。」

*大 坂 「そりゃそうだ。覚えているほうがおかしいね。だって,ずっとずっと昔のことだもの。」

*Aさん 「あっ,赤ちゃんだ!」

*大 坂 「そう,赤ちゃんだ。3000グラムくらいで産まれた赤ちゃんが,1年後には3倍以上の10キログラムぐらいになるわけだろう?これはすごいことだよ。」

*Aさん 「3倍か。もし今だったら…」

*B 君 「180キロ!」

*Aさん 「失礼ね!そんなにあるわけないじゃない!」

*大 坂 「まぁまぁ,けんかはやめて。」

*Aさん 「でも先生,赤ん坊は"青年期"じゃないんでしょう?何で今頃そんなことをおっしゃるんですか?」

*大 坂 「実はね,確かに赤ん坊を"若い"と言うのは間違っているけれど,赤ん坊と若者の間にはひとつの大きな共通点があるんだ。」

*B 君 「えー,それは何ですか?」

 確かに,3000グラム前後で産まれた赤ちゃんが1年後には3倍以上の10キログラムぐらいになる。これはものすごい成長速度である。ところが,この"生気に満ちあふれた"ような赤ちゃんが,実は人間の一生の中で最も危険な時期であることもまた確かなのだ。生後一年までの赤ん坊は,他の動物と比べても非常に病気にかかりやすく死にやすい。そのひとつの理由は,人間が進化の過程で母体への負担を軽減するため妊娠期間を短縮してきたことにある。これを「生理的早産」と言う。(それ以上胎内にいると頭部が産道を通らなくなる!)実際ゾウの妊娠期間は約2年もあり,一般に野生動物の赤ん坊は生まれると間もなく目も見え,自分の足で立って親の後をついて歩くことができる。弱肉強食の世界ではそれは当然のことであるのだが,人間は文明というバリアに守られて,自分の足で歩けないどころか,目も見えず,まったくの無防備状態でこの世に登場するのだ。そして,生後1年間に急激な成長を続けるのだが,この間は,身体的に非常に危険な状態であることは前に述べた通りである。(蛇足ではあるが,さらにつけ加えれば人間がもっと激しい勢いで成長する時期がある。それは妊娠中の期間であるが,顕微鏡でなければ見えないような卵子が3000グラム前後まで成長するのであるから,これにまさる成長期はない。しかし,これこそが流産・死産など,人間がその人生において最も生命の危機にさらされる時期なのである。)つまり,「"成長期"は生命にとって危険な時期」なのである。

 ところで,人間がもう一度激しく成長する時期がある。それがいわゆる"思春期"の時期だ。女子では小学校高学年ころから,男子ではやや遅れて中学生になるころから,再び身長や体重の急激な伸びが見られ始める。そして,実はここでも先程の「"成長期"は生命にとって危険な時期」であるという大原則が適応されるのだ。(実際,自動車の任意保険の保険料に関しては26歳を境に安くなる。これは統計上青年の交通事故がそれ以上の年齢の人間に比べて明らかに多いという証拠であろう。)ここには2つの意味がある。ひとつは,前述の通り成長期にはさまざまな病気に冒されやすく事故に遭いやすい,ということである。しかし,ここに人間としてもうひとつ重要な意味がある。  

4.第2の誕生

 我々は生まれてくると同時に,目に見える外性器の形態から男であり女であるということが分かる。これを「第1次性徴」という。ところが,子どものころは外性器の形以外男女の間にはほとんど差はない。男の子でもちょっとかわいい服装をさせれば女の子に見えるし,女の子でも髪の毛を短く切れば男の子に見える。ところが"思春期"になるとそうはいかなくなる。身長・体重が増加すると同時に,男子は声変わりし体毛が発生し,それまで形だけの存在であった精巣は精子を作り始め,夢精やマスターベーションの形で精通を見るようになる。そして,異性に対する興味関心が急激に昂まり,その性欲は自分自身でも制御不能となることさえある。女子の場合も乳房や腰部の発達・性毛の発生など体型の変化とともに,卵巣の成長によって初潮を迎える。そして,男子に比べれば穏やかな形ではあるが,異性への関心が増し,恋愛への憧れを抱くようになってくる。この,ただ外性器(内性器)の形によって知られる男女差だけでなく,それが実際に機能するようになり,どこから見ても男であり女であるようになった状態を「第2次性徴」と呼ぶ。ところが,やはりこの「第2次成長」=「第2次性徴」の時期は,人間にとって危機の時期となるのである。18世紀のフランスの思想家ジャン=ジャック=ルソーはその著書『エミール』の中で,その危機のときを"第2の誕生"という言葉で呼び,その特徴を次のように述べている。

 私たちは,いわば2回この世に生まれる。一回目は存在するために,2回目は生きるために。はじめは人間に生まれ,次は男性か女性に生まれる。…この危機の時代は,かなり短いとはいえ,長く将来に影響を及ぼす。暴風雨に先立って早くから海が荒れ騒ぐように,この危険な変化は,現れはじめた情念のつぶやきによって予告される。目は,この魂の器官は,これまでに何も語らなかったが,ある言語と表情をもつことになる。燃えはじめた情熱が目に生気をあたえ,いきいきとしたそのまなざしにはまだ清らかな純真さが感じられるが,そこにはもう昔のようにぼんやりしたところがない。目が口以上にものを言うことをかれはもう知っているのだ。かれは目をふせたり,顔を赤らめたりすることができるようになる。何を感じているのかまだ分からないのに,それに感じやすくなる。理由もないのに落ち着かない気持ちになる。(中略)これが私のいう第2の誕生である。ここで人間は本当に人生に生まれてきて,人間的ななにものも彼にとって無縁のものでなくなる。

 はじめにも述べたが,この思春期("第2の誕生")の時期において,人はここに他人とは違う唯一無比の"自分"("自我"=ego)というものが存在していることを知る。ところが,自らの肉体的・性的な成長に精神的な成長がついてゆけず,「自らが,自らの肉体や精神をもてあます」ようになり,「自分でも自分が分からない」アイデンティティの危機の時代を迎える。このとき人間は自分自身で自分自身のコントロールが困難となり,孤独と劣等感の中で苦悩する。ルソーはこれを「暴風雨に先立って早くから海が荒れ騒ぐよう」だと言い,またドイツの文豪ゲーテ(1749~1832)は,これを「疾風怒涛(Strum und Drang) の時代」と呼んだ。

*B 君 「でも先生,ルソーとかゲーテとか,何かそんな立派な人だからそう言うけれど,本当に今どきそんなたいそうな悩みを持っている高校生がいるのかなぁ。」

*Aさん 「あら,私は結構悩んでいるわよ。」

*B 君 「鏡を見て?」

*Aさん 「うるさい!」

*大 坂 「ほら,またすぐそうやってけんかをする。ま,けんかするほど仲がいいっていうけれどね。」

*Aさん 「もー,先生ったらー!」

*大 坂 「は,は,は。冗談,冗談。でもね,こんな経験は君たちにもあるだろう。ここでビートルズの『ヘルプ!』という曲を聴いてみよう。」

 

 HELP! The Beatles 1965

ヘルプ! ザ=ビートルズ 1965年

 この『ヘルプ!』("HELP!" )は,1965年ビートルズの主演第2作映画『ヘルプ! 4人はアイドル』の主題歌として,主にジョン=レノンの手によって書かれたストレートなロックナンバーである。人気絶頂のビートルズのこと,当然大ヒットし,イギリスでもアメリカでもヒットチャートの第一位を占めた。もちろん当時の人々は,この曲をただリンゴ=スターが主役を演じたコメディ映画のテーマソングとしてしかとらえておらず,その裏に隠されたジョンの心の苦悩にまでは思いを馳せることはなかった。しかし,この曲こそが,当時25歳のジョン=レノンの初めての"私小説的"魂の叫びだったのである。

 この曲でジョンはこう歌う。

「むかしむかし 僕が 今より ずっとずっと幼かったときには
  どんなときでも 誰かに助けてもらおうなんて 思ったことはなかった」

 これは言い換えれば,人間は自我(ego)の認識以前においては,つまり,子どものころには,この世には他の人とは違う"自分"というものが存在し,その自分は,今どのような"自分"でこれからどのような"自分"になるのかというようなことを考えることもなく,自らのアイデンティティを模索して「自分は一体なんだろう?」とか「これからどう生きてゆけばよいのだろう?」などということを考えたり,そのために悩んだりしたことはなく,当然それに関して誰かに助けてもらおうなどと考えたことはなかった,ということである。ところが,  

「でも 今 そんな時代は過ぎ去って
  僕は すっかり自信がなくなってしまった」

というのだ。これはつまり,疾風怒涛の青年期がやって来て,自我の不安・アイデンティティの危機の時代が訪れ,スランプや空虚感・劣等感に苦しみはじめたことを示している。

「でも 僕には わかったんだ 僕は 心を入れかえるんだ   僕は 扉を開いたんだ」

しかし,主に14〜15歳ころから17〜18歳ころまでの青年期前期に特徴的なこの苦悩は,25歳の青年ジョン=レノンにおいては何らかの理由で克服され,彼は心を開き素直に援助を受け入れようとする。

「出来るならば助けてください僕は落ち込んでいるんです
  そばにいてくれたら 本当に感謝します
  僕を しっかり地面に立たせてください
  お願いだから どうか 僕を助けてください」

そして,2コーラス目でも,

「今では僕の人生も すっかり変わってしまって
  ひとりでやっていける自信も すっかり消えてしまった
  ときどき 僕はとっても不安になるんだ」

と,一番と同様のアイデンティティの危機,自信喪失,独立心の欠如が歌われるが,ここで急転直下自らのコペルニクス的改心の理由が語られるのだ。

「僕には 君のような人が必要なんだ   こんなことは 今までなかったことなのに」

つまり,彼は恋をしたのである。そしてその激しい恋に身を焼き,彼女との一体感を求めてその女性に救いの手を求めたのである。

 このように,この"HELP!"は,「危機の時代」である青年期と,そこからの脱出の強い願望が見事に描かれている傑作である。  

5.ロックと『現代社会』

*Aさん 「へー,普段何気なしに聞いていたけれど,ロックも,じっくり聞くと意外と奥が深いんですね。」

*B 君 「でも,先生,ビートルズなんてちょっと古すぎるんじゃないですか?だってぼくらが生まれる前のバンドでしょう?社会派なら尾崎豊とか,もっと新しいものがあるんじゃないですか?」

*大 坂 「それは確かにそのとおりだ,B君。でもね,ビートルズはただ古いだけのバンドじゃないんだ。第2次世界大戦が終わったのは西暦何年か知っているかな。」

*Aさん 「1945年でしょう。常識ですよ。」

*大 坂 「そう,今から約50年前だ。そして,どうやら戦後の混乱期がおさまり現在の社会の基礎が見えはじめてくるのが1960年代の半ば,つまり昭和35年ころで,この後約10年間,日本はいわゆる「高度経済成長」の時代を迎える。現代社会の原形は実はこの時期に作られたんだね。また,この時期は現在のような意味での「若者」が登場した時代でもある。そして,ビートルズやローリング=ストーンズ,ボブ=ディランなどのロック・ミュージシャンは,その新たに登場した若者たちの代弁者だったって言うわけだ。いわば,若者文化の古典=クラッシックなんだね。だからこそ,最近ではビートルズが『世界史』の教科書に"歴史上の人物"として取り上げられるようにもなったというわけさ。だから,もちろん尾崎豊でも,宇多田ヒカルでも,SMAP でもいいのだけれど,ここは一度しっかり60〜70年代の"ロックの古典"を聞いてもらいたいんだ。それが現代の複雑怪奇な社会を知る鍵にもなるってことかな。」

*Aさん*B君 「よく分かりました。」

次へ
ページトップへ戻る

メインメニュー

Copyright(C) 高機能HTMLテンプレート no.001 All Rights Reserved.