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「ロックで学ぶ現代社会」rock meets education

第3部 『国際社会と人類の課題』

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第1章 第2次世界大戦後の国際政治

*B 君 「先生,やっぱり戦争はいやですね。」

*大 坂 「何ですか,突然。」

*B 君 「いえ,実はね,自衛隊員の叔父さんがいるんですが,今度,イラクへ派遣されることになったんです。あそこではしょっちゅうテロがあるし,心配でたまらないんですよ。」

*大 坂 「国際社会に貢献するのはある意味では名誉なことだけれど,自衛隊の海外派遣には反対の世論もあるし,何よりも安全が保障されないところに行くわけだから,君もご両親もさぞかしご心配なことだろうね。」

*Aさん 「でも,ソ連もなくなって,第3次世界大戦が始まる危険性もなくなったんでしょう。これからはどんどん平和になっていくんじゃないんですか?」

*大 坂 「それは確かに一理ある。もう,核ミサイルが飛びかって一気に地球が滅びるような戦争は起こりにくいかもしれない。しかし,アフガニスタン戦争やイラク戦争のように,民族や宗教,国境紛争や経済摩擦などが原因となって引き起こされる地域紛争はかえって増加する傾向にあるんだよ。」

*Aさん 「ああ,中東の自爆テロなんかもすごいですね。」

*B 君 「そうそう,ニュースを見て,ぼろぼろになった自動車や血まみれの人なんか見ると,本当に心配になっちゃうんだ。」

*Aさん 「B君,あなた本当はいい人ね。」

*B 君 「そう?じゃ,慰めてくれる。」

*Aさん 「それはさておき…。」

*B 君 「勝手にさておかないでよ。」

*大 坂 「ははは。それはともかく,人類最大の災厄となった第2次世界大戦終了後にも,これから挙げるようなずいぶんたくさんの地域紛争が起こっているね。そしてその中には,もう少しで第3次世界大戦の引き金になりそうなものもあったんだ。こんな年表を見ていると,結局人類はあの第2次大戦から何も学ばなかったんじゃないかと思えてきて,ものすごく悲しくなってしまう。どうして人間はこんな生き物なんだろうって,救い難い気持ちにもなるね。ちょっと見てごらん。」


年代 主な国際紛争
1946 インドシナ戦争〜54
48  ベルリン封鎖事件〜49,第1次中東戦争〜49
50  朝鮮戦争〜53
56  ハンガリー動乱, 第2次中東戦争
60  コンゴ紛争〜65
62  キューバ危機
64  キプロス紛争(74年も)
65  ヴェトナム戦争〜75
67  第三次中東戦争
68  チェコ事件
69  中ソ国境紛争
71  印パ戦争
78  カンボジア内戦
79  中越紛争,ソ連のアフガニスタン侵攻〜89,エルサルバドル内戦
80  イラン・イラク戦争〜88,レバノン紛争
82  ニカラグァ内戦〜90,フォークランド(マルビナス)紛争
83  グレナダ紛争
90  イラクのクウェート侵攻
91  湾岸戦争,ユーゴ・スラヴィア民族紛争
99  NATO軍ユーゴ空爆
2001 アメリカ同時多発テロ,アフガニスタン戦争
03  イラク戦争

*大 坂 「特に"パレスティナ問題"から起こった中東戦争,もう少しで広島・長崎に次ぐ3度目の原爆使用が懸念された朝鮮戦争,そしてヴェトナム戦争などは現在に至るまで国際社会に暗い影を落としているね。」

*B 君 「アフガニスタンやイラク戦争のときのテレビ画面はまるでコンピューター・ゲームみたいだったけれど,アメリカの同時多発テロの風景なんかは,血なまぐさくて目を背けたくなりました。」

*Aさん 「テロは先進国でも起こりますものね。」

*大 坂 「そうそう。たとえばイスラム過激派の問題を別にしても,先進国イギリスでも地域紛争はある。たとえば,最近武力闘争の終結を宣言したけれどもIRA(アイルランド共和国軍)という過激派のテロ事件は長い間問題になっていたよ。"北アイルランド"問題といえば"イギリス内政の癌"と呼ばれていたからね。」

*Aさん 「それは私はあんまり聞いたことがないんですけれど,どんな問題なんですか?」

*大 坂 「そうだね。それじゃあ,話をする前にまずこの曲を聴いてもらおうか。」

GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH    Paul McCartney & Wings 1972

アイルランドに平和を      ポール=マッカートニー&ウィングズ 1972年

 この曲は,その名前からアイルランド(ケルト)系であることが分かるポール=マッカートニーが,1972年のイギリスのアイルランド民族運動弾圧事件(いわゆる「血の日曜日」)に憤慨して発表した曲である。しかし,発表当時イギリスBBC(国営放送局)はこの曲を放送禁止に指定した。

 アイルランドは古くから中央ヨーロッパの主要民族であったケルト人が来住し,原住民と混血しゲール人と呼ばれる民族を形成した。その後,大陸に成立したローマ帝国や4世紀からのゲルマン民族大移動の影響を余り受けることなく,独自の文化を発展させていた。5世紀には聖パトリックによってローマ=カトリック教が伝えられ,「聖者と学者の島」といわれるようなカトリックの一大中心地となった。中世においては第2次民族移動ともいわれるノルマン人の来襲の波の中で苦しみながらも,何とか独自の歴史を守り通していたが,同時期に対岸のイングランドにアングロ・サクソン人の王国が成立すると,やがて圧迫を受けるようになり,12世紀のイングランド国王ヘンリー2世の時代からは実質的にはイングランド王国の支配を受けるようになった。

 近代になると,イングランドでは1534年首長令の発布により"イギリス国教会"が成立し新教国家となった。また,商工業の発展により国内のピューリタン(清教徒 =カルヴァン派新教徒)の勢力が増加し,1642年に始まったピューリタン革命は1649年に,国王処刑〜共和制の成立という形でピューリタン=議会派の勝利に終わった。すなわちこの時点において,アングロ・サクソン民族・新教(ピューリタン・国教会)のイングランドと,ケルト民族・カトリックのアイルランドの間には大きな差異が生まれていたのである。ところが,17世紀にはイングランド人の北アイルランド(アルスター地方)への植民が進み,1640年までに3〜4万人の移住が行われたという。

 ところで,やがて共和政イングランドで独裁権力を握ったオリヴァー=クロムウェルは,1649年アイルランドの完全制圧を行い土地を没収し,ここにアイルランド王国は消滅した。やがて,イングランド系の新教地主がアイルランドの土地の約8割を所有し,アイルランド人は貧困にあえぐという状況が生まれた。その後,アイルランドでは,1845年の大飢饉により多くの餓死者を出すといった悲劇もあった。

 19世紀後半の"自由主義の時代"になるとイギリス(1801年イングランド王国とスコットランド王国とが合併し,アイルランドの議会が廃止され"グレート・ブリテン及びアイルランド連合王国"が誕生した)でも改革が進み,主に自由党の主張でアイルランド自治に関する法案が幾度も提出されたが,第1次世界大戦以前には自治獲得はかなわなかった。その後シン=フェイン党などの独立運動組織が生まれ,独自の運動を展開し,第1次大戦後の1922年ついに"アイルランド自由国"としてイギリスからの独立を遂げた。その後エール共和国(1937,49年から"アイルランド共和国"を併称)と改称し,48年にはイギリス連邦を脱退し独自の歩みをはじめたが,北アイルランド(アルスター地方)は依然としてイギリス領にとどまり,その"返還"問題をめぐって,IRAなど過激派によるテロ事件が後を絶たない。

 なお,名前の最初に"Mac(Mc)""Fitz"(ともに「息子」の意)や,"O''"がつくもの は,多くはアイルランド系の人物である。たとえばMacDonald は"ドナルドの息子",Fitzgeraldは"ジェラルドの息子"の意味でアイルランド系によくある姓である。ビートルズのメンバーはすべてアイルランドに面した港町リヴァプール市の出身であるため,4人ともアイルランド系の家系の出身であるとされる。たとえば,ジョン=レノンのLennonという姓も,古くはO'Lennonであったといわれる。

*Aさん 「いろんなところに,紛争の種はあるんですね。」

*B 君 「本当にね。第2次世界大戦が終わってからは,世界はもう平和になっていくのかなって思ってたんだけど…。」

*大 坂 「そう簡単には行かなかったんだね。というのは…」

 第2次世界大戦の終了を象徴した原子爆弾の投下は,実は「東西冷戦」の開始を告げる悪魔の鐘の音であったという人がいる。アメリカは日本の敗戦を早めるとともに,核兵器の存在を見せつけることによって,軍事国家として急激な成長を続けるソ連に対して戦後の国際政治における主導権を確保しようとしたというのだ。

 その言葉とおり,戦後直ちに米ソ両国は激しい対立関係に入り,双方が大量の核兵器を維持しつつにらみ合うという,いわゆる「冷戦」(cold war)の時代が到来した。そして,西欧や日本などの資本主義国はアメリカの陣営に,東欧やアジア・アフリカの社会主義国はソ連の陣営に組み込まれ,この両者が全面対決をしたならばそれはすなわち"第3次世界大戦"であり,その結果世界の破滅が訪れるという危機感が世界中を覆っていた。

 そのような危機感の中で多くの地域紛争が勃発したが,その最大のものは何と言ってもヴェトナム戦争であろう。ヴェトナムは19世紀以来フランスの植民地であったが,第2次大戦大戦中日本軍の進駐を受け,フランス勢力は一時撤退せざるをえなかった。戦後,ホー=チミン率いる共産党は"ヴェトナム民主共和国"の成立を宣言しヴェトナムの独立を歌いあげたが,フランスはこれを許さず,兵を送り共産勢力との間に戦闘が勃発した。これがいわゆるインドシナ内戦である。しかしフランスはこの戦争に敗れ,1954年のジュネーヴ協定によりヴェトナムからの撤退を余儀なくされた。その結果,北緯17度線を境界に,北に共産党支配下の"ヴェトナム民主共和国"(北ヴェトナム),南に資本主義の"ヴェトナム共和国"(南ヴェトナム)が成立し,1956年に総選挙を実施したが,その結果,民族自決による統一新ヴェトナムを形成するとの約定がなされた。しかしアメリカは,「中ソ封じ込め政策」の一環として,ヴェトナムの社会主義化を防ごうと,撤退したフランスの代わりにヴェトナムへ介入し,やがてアメリカが支援する南ヴェトナムとホー=チミンの北ヴェトナム,および北に支援された南ヴェトナム解放民族戦線との間に戦闘が始まった。これがヴェトナム戦争である。

 この戦争において,アメリカは第2次世界大戦全体に使った量をはるかに上回る武器・弾薬を投入し,ゲリラの拠点を破壊するために枯れ葉剤(猛毒ダイオキシン)を散布し,激しい環境破壊と奇形児の誕生などの将来にわたる大問題を引き越した。しかしそれにもかかわらず,アメリカはなんら成果を挙げることなく1975年に全面的な撤退を余儀なくされ,その後ホー=チミンによるヴェトナム統一が成し遂げられた。

 しかし,この戦争はただヴェトナムの悲劇だけではなく,アメリカに対しても大きな問題を残した。

 それはまず,莫大な戦費出費によるアメリカ経済の疲弊−世界経済の王者の座からの脱落−であり,もうひとつは,合衆国史上初の"敗北"による"アメリカの威信"の失墜であった。実際この戦争中アメリカ国内では広範な反戦運動が巻き起こり,世論は沸騰し政府は何度も危機的な事態を迎えた。また,"ムダな戦い"を強いられたヴェトナム帰還兵の中には戦争中の恐怖や自責の念から精神障害に陥るものも多く,アメリカ社会に大きな禍根を残した。

 この戦争は余りにセンセーショナルなものであったために,幾度となく文学作品や映画などに取り上げられたが,当然のことながらロックの主題としても扱われた。ここでは,そのような多くの"ヴェトナム・ロック"の中から比較的新しいものを紹介してみよう。

GOODNIGHT SAIGON    Billy Joel  1982

グッドナイト・サイゴン    ビリー=ジョエル 1982年

 ビリー=ジョエルは,初期にはポップなラブ・ソングが多かったが,1982年に発表されたアルバム『ナイロン・カーテン』においては,政治・社会問題を扱った曲を取り上げ新境地を開いた。この『グッドナイト・サイゴン』はその題名からも分かるように,ヴェトナム戦争を批判的に扱った作品である。しかし,ことさらに戦争の悲惨さを語るのではなく,一人の兵士の視点からドキュメンタリー風に戦況を語ることによって,アメリカ軍の切迫した危機感を歌っている。60年代後半のヴェトナム戦争同時代においても『反戦歌』は多数存在したが,多くの時代を経た1980年代にビリー=ジョエルはまた新しい捕らえ方をしている。

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