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「ロックで学ぶ現代社会」rock meets education

第1部 『現代社会における人間と文化』〜現代社会の特質と青年期の課題

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第3章 "若さ"の危うさ

1.暴走する若者

*Aさん 「ねぇ,ねぇ,ちょっとこの新聞見てよ。ひどいと思わない?」

*B 君 「なに,なに,…えー信じられない。何でこんなことするの?」

*大 坂 「おいおい,授業が始まるっていうのになに新聞なんか見ているんだい。」

*B 君 「先生,まあちょっとこの新聞見て下さいよ。授業どころの騒ぎじゃありませんよ。」

*大 坂 「なになに…」

<ホームレス焼死>2少年を殺人容疑で逮捕へ 兵庫・姫路

 兵庫県姫路市内で昨年10月,就寝中の不審火で足の不自由なホームレス男性が焼死した。同県警に恐喝容疑などで逮捕された同市内の無職の 16歳少年2人が「むかついていたので火炎瓶を投げた」と供述していることが13日,分かった。少年らは男性の障害を知っており,県警は火炎瓶を投げれば男性が焼死する可能性を十分認識していたと判断,殺人と火炎びん処罰法違反の両容疑で近く逮捕する方針を固めた。

 調べでは,同市西夢前台(にしゆめさきだい)の夢前川にかかる国道2号夢前橋の下で昨年10月22日午前4時20分ごろ,段ボールや布団が焼ける不審火があり,焼け跡から無職,雨堤誠(あまづつみまこと)さん(当時60歳)の焼死体が見つかった。当時,橋の下ではホームレス男性3人が暮らしていたが,足が不自由だった雨堤さんだけが逃げ遅れたという。

 関係者らによると,少年らは事件当日の未明から現場で騒いでいたといい,以前から石を投げるなどの嫌がらせを繰り返していたという。

 目撃情報などから少年らが浮上。調べに,少年らは雨堤さんについて,「臭い」「何を言っているのか分からないのでむかついていた」などと話し,火炎瓶を作って投げ込み,炎上させたことを認めた。供述通り現場から火炎瓶の破片が見つかった。

 食事などの世話をしていた近くの男性によると,雨堤さんは熊本県出身。姫路で配管工として就職したものの,家賃を払えず路上で生活するようになったという。03年ごろから国道2号夢前橋の橋げた下に張られた金網の上に段ボールと布団を敷いて住居とし,暮らしていた。

 少年らが路上生活者を襲う事件は後を絶たない。大阪市では00年7月,高校生ら4人が67歳の男性を殴打して死なせたとして逮捕された。「ゲーム感覚でやった」と供述した。東京都江東区では04年1月,橋の下で暮らす64歳の男性を暴行し,川に飛び込ませて死亡させた殺人容疑で,無職少年2人が逮捕された。

【近藤大介,林田七恵】 (毎日新聞Web) -2006年 3月14日3時8分更新

*大 坂 「うゎー,確かにこれはひどい…。」

*B 君 「ねえ,すごいでしょう。まったく最近の若い者はいったい何を考えているのか…。」

*大 坂 「おっと,ずいぶん老成したもんだねえ。でも"最近の若者"なんて言うけれど,この手の事件は今に始まったことじゃないんだ。たとえば,かなり前にもこんなことがあったよ。」

◎『朝日新聞』 1987(昭和62)年1月23日(金)

 少年ら,また野宿者襲う 東京  重傷 棒で殴り髪燃やす

「東京都足立区の公園で今月12日未明,野宿していた男性が少年グループに襲われ,頭に重傷を負って入院していたことが分かり,千住署は22日までに,同区内に住む中学3年生や工員ら少年3人を暴力行為の疑いで逮捕した。同種の事件では58年1〜2月,横浜市内で少年グループが,浮浪者を「遊び半分」で連続して集団暴行,使者3人,けが人13人を出し,大きな社会問題になった。大阪でも去年10月13日夜,大阪市内の四天王寺境内で,少年3人組がエアガンで,野宿労働者を襲い3人の顔などにけがをさせ傷害容疑などで中学生,高校生各1人が補導されている。

 犯行に加わったのは14歳から17歳までの少年5人。うち中学3年生,工員,無職の3人が逮捕された。別の中学3年生1人は任意で調べを受け,他の中学3年生1人が逃げている。

 少年たちに襲われたのは,栃木県出身の無職Aさん(59)。

 千住署の調べやAさんの訴えによると,12日午前1時45分ごろ,足立区千住緑町2丁目の北千住公園の植え込み近くで寝ていたAさんに,少年グループが手に棒などを持って襲いかかった。口々に,「このこじきやろう」「クサイ」とののしりながら,棒でAさんの頭や顔などを殴り,押えつけて,髪の毛をライターで燃やすなどしたあと逃げた。グループの中には少女も3人おり,まわりで見ていた,という。 襲われたあと,Aさんは自力で約100メートル離れた交差点まで歩いていき,真ん中で倒れた。たまたま近くで道路工事をしていた人が発見,救急車を呼んだ。Aさんは,診断の結果,顔に外傷のほか,脳ざ傷などで重傷。当時は意識も薄れていたという。 同公園は,近くに職安があり,職にあぶれた日雇い労働者が常時数人いる。体が弱いAさんは,仕事ができないまま,数年前からこの公園で寝泊まりしていた。 同公園は山谷地区ともそれほど離れていないが,山谷地区で炊き出しなど援助活動をしているキリスト教団体の関係者の話によると,去年あたりから,公園で寝ている人たちが中学生や高校生くらいの年齢の集団に襲われてけがをするなどの訴えが多くなっいるという。

 5人の少年はいずれも窃盗,暴行などの非行歴があり,再三家出。中学生の3人は学校にもほとんど行っていなかった。同署は5人が周囲から「じゃま者扱い」されるなどしたため,無抵抗の浮浪者を相手にうさ晴らしをした,とみている。少年らは調べに対し,「浅草で以前,浮浪者にいじめられたことがあり,仕返しをしようと思った」と自供している。」

*Aさん 「うぁー,これもひどいわ。何でこんなことするのよ。信じられない!」

*B 君 「本当。やくざのおっさんならいざ知らず,何で中学生なんかがこんなことできるんだろう。」

*大 坂 「まあ,やーさんと比較するのは多少無理があるかもしれないけれど,この事件は決して"若者にもかかわらず"という問題ではなく,"若者だからこそ"という重大な問題を含んでいるのじゃないだろうか。同じ日の『朝日新聞』の『天声人語』にはこんなことが書いてあるから,ちょっと読んでごらん。」

 「少年たちが,東京・足立の公園に野宿していた男を襲い,こじき,汚いとののしりながら,重傷を負わせた。棒で殴り,髪の毛をライターで燃やしたそうだ。

 中学3年生たちは,進学組ではなくて,長期欠席者が多かった。中卒の子の1人は無職だった。進学競争の世界からはじかれたものは,受験の季節になるといっそう荒れるという。横浜で野宿生活の男たちが襲われた事件も,冬に起こった。

 横浜の事件の少年たちは,学校でも家庭でも,さまざまな意味で「弱者」だった。弱者がさらに弱いものに攻撃を加えるという悲しくて無残な図は今回も同じではないだろうか。

 のけものにされた少年たちが,世間からはみ出したものを集団で襲う。「いじめるとスカッとする」「抵抗するのでおもしろい」といって襲う。弱きが弱きをくじく世界である。

 6年ほど前「くたばりかけたジイさんを木にしばりつけ,その目をめがけて吹き矢を吹く」といった残酷な冗談を書いた本が売れたことがある。かつての「ツービート」の本だ。

 こういう種類の冗談が受けたのは,作者(ビートたけし〔筆者注〕)に世間のにおいをかぎとるカンがあったからだろうか。弱きをくじく心と残酷をおもしろがる心とがぶつかると,火花を散らして,嫌なにおいを放つ。

 やはり6年前に来日したマザー・テレサはこう語った。「東京で道端に倒れている人を見ました。通行人が誰も救おうとしないのには,ショックを受けました。助けてもまた戻ってくるからといって手をさしのべないのは,その人の尊厳を奪うことになります」。

 多くの人は,この「正論」に頭を下げる。下げながらも,内心では公園や地下街に野宿する人々を迷惑に思っている。助けることよりも「排除」することを願い,「浮浪者一層を叫んだりする。人間をごみのように排除する行為,つまり弱きをくじく行為の残酷さが,子どもたちを刺激しないはずはない。

*Aさん 「弱いものの方が,さらに弱いものに対して残酷になれるということですね。」

*大 坂 「難しい問題だとは思うけれど,鋭いところをついているのじゃないかな。"イジメ"なんてものも,やっぱり"こども"の世界の出来事だろう?弱いものほど残酷になれるというのは現実の問題じゃないのかな。」

*B 君 「本当にそうですか?そりゃ確かに"イジメ"は大問題だけれど,"いじめっ子"っていうのは仲間内でも"強い"やつでしょう。"不良"なんて腕っ節だけは強いじゃないですか。」

*大 坂 「でも実際には,"不良少年"なんていう言葉が世間から消え去りつつあるのじゃないかな。昔は"不良"は皆から恐れられる"強者"だったけれど,現在はちょっと違ってきているものね。彼らは"社会"や"時代"の犠牲者で,いたわるべき"弱者"だなんて言う人が出てきたりして。街のヤクザでさえ住民パワーで事務所の立ち退きを迫られるご時世だろう。今まさに"不良"受難の時代だね。」

*Aさん 「えー,じゃあ"やーさん"は,いたわって助けてあげなくちゃいけないんですか?」

*大 坂 「そこまで言うのは無理があるだろうけど,でもね"弱者"は"弱者"なりに自分たち以上の"弱者"にねらいをつけるものじゃないかな。この事件で犠牲になったのは"弱者"中の"弱者"の,住む家も一緒に暮す家族もヘタをしたらその日食べるものさえない街のホームレスだろう。君たちは『何てひどいことを!』と思うだろうけれど,これは決して他人ごとではないのじゃないかな。だって"イジメ"なんて関係ないと思っている君たちも,小さいころアリの巣を踏みつぶしたりチョウチョの羽をむしったりカエルに爆竹をつけてぶっ飛ばしたりした経験はないかい?」

*Aさん 「そんなことするわけないでしょう!ねぇ,B君。」

*B 君 「えっ,そりゃ,だけど,やっぱり,"こども"だから…。」

*大 坂 「ほら,B君にはやっぱり覚えがあるみたいだよ。」

*Aさん 「サイテー!」

*B 君 「だって,誰でもやってることだろう。」

*大 坂 「誰でもやってるかどうかは分からないけれど,ともかく子どもとは残酷なものだね。"配慮"なんてことは考えないからね。でもそう考えると,人間は弱く小さいものほど残酷になれるのじゃないかな?」

*Aさん 「そーなのかなぁ?でも,そうなると先生が以前からおっしゃっているように,"青年期というのは人間の一生の中で最も弱い時期"のひとつということだから,私たちはものすごく残酷な存在だってことですか?」

*大 坂 「そう言うこともできるだろうね。それに残酷かどうかを別にして,若者ほど無鉄砲なものもないね。すぐかっとなって後先考えずにけんかを始めたり,バイクでぶっ飛ばしたり,とにかくまさにナイフみたいに研ぎ澄まされている時期だからな。」

*Aさん 「そうですか?私はおっとりとしているけれど…。」

*B 君 「年取ったんでしょう?」

*Aさん 「ウルサイ!だいたいアンタはねえ人のあげ足ばっかりとって,あーだこーだと文句ばっかり言って…」

*大 坂 「と,まあ。結局そうやって怒り狂っているわけだ。でもそれも当然だろうね。青年期と言うのはとにかく考え方が純粋だから,たとえ少しでも『間違っていることは許せない』なんてところがあるからね。この曲を聴けば,そんな気持ちが良く分かるのじゃないかな。もし私がホームレス襲撃事件をテーマにした映画を作るのだったら,きっとこの曲をテーマソングにするだろうね。ザ=ローリング=ストーンズの『サティスファクション』だ。」

(I CAN GET NO)SATISFACTION  The Rolling Stones 1965

サティスファクション ザ=ローリング=ストーンズ 1965年

 ザ=ローリング=ストーンズは,1963年にヴォーカリストのミック=ジャガーとギターのキース=リチャーズを中心に結成されたロックバンドである。黒人音楽の色合いを強く残したブルースを基盤に,ミックの悪魔的なヴォーカルをフィーチャーした"不良少年"のイメージで売り出し,ビートルズに次いでアメリカ進出を遂げると,その後は世界中で圧倒的な人気を獲得した。その後数度のメンバーチェンジを繰り返しながら,現在まで世界最高のロックバンドとして君臨を続けている。ところで,1965年のアメリカ年間チャートの1位にもなったこの『(アイ・キャン・ゲット・ノー)サティスファクション』は,言葉では表せない若者のフラストレーションを歌った名曲である。

「俺は満足できないんだ! 俺は満足できないんだ!
  やってみたさ 何度もやってみた
  だけど どうしても俺は満足できないんだ!」

と繰り返すミック=ジャガーの歌声は,まるで全世界の若者の代弁者のようである。おそらく,ホームレスを襲撃した若者の頭の中には同じフレーズが鳴り響いていたのではないだろうか。「満たされない思いがある。しかしそれが何だか自分にも分からない。分からないからこそ余計に腹が立つ。悪いのは自分ではなくて回りの奴等だ,社会だ!いっそのこと何もかもたたきつぶしてしまえ!」彼らのこの胸の思いが,『サティスファクション』のディストーションのかかったギターのフレーズに込められている。「どんな苦しいことがあっても自暴自棄にならず,将来への目標を持って懸命に努力して自らの進路を切り開いてゆこう」…親や先生はきっとそう言うことだろう。しかし,視野の狭い若者には,それはみずからを欺き,おとしめ,若者を自分たち汚い"おとな"世界へ引きずり込もうとする"悪魔のささやき"にしか聞こえない。そのジェネレーション・ギャップは,さらに若者と社会の対立を生み,若者は一層過激な行動に走る。不登校や自殺などの「非社会的行動」や,犯罪行為などの「反社会的行動」ほどの深刻さはないが,その現れのひとつがロック・ミュージックにおける過激な歌詞・音楽であるとも言える。ローリング=ストーンズのいくつかの曲や,いわゆる"ヘヴィ・メタル"や"パンク・ロック"を聞いてみるならば,そこはそのような"怒れる若者"の叫びに満ちている。

*B 君 「でも,そんなに"とんがっている"のはほんの一部の人だけじゃないんですか?」

*大 坂 「いやいや,決してそんなことはないよ。若者が危険だというのは統計上もはっきり出ていて,自動車の任意保険なんかではその統計学上の数字に基づいて26歳以上になると保険の掛け金がぐっと安くなるんだ。つまり,26歳過ぎると事故を起こす確率がずっと減るっていうことなんだな。」

*Aさん 「確かに若者の運転ってものすごいものね。どうしてあんなスピード出すんでしょうね。」

*大 坂 「きっと自分でもどうしてか分からないんじゃないかな?とにかく身体の中からつき上げてくるような衝動があって,自分でも自分がコントロールできなくなる−青年期ていうのはそんな時代なのかもしれないね。ここに,もうひとつ新聞記事があるから読んでごらん。」

軽正面衝突 卒業式目前の高校生2人死亡 三重

 1日午前2時ごろ,三重県紀宝町井田の国道42号で,県立高校3年の男子生徒(18)=同県御浜町=運転の軽乗用車と紀宝町神内,店員,西正宏さん(41)運転のトラックが正面衝突。軽乗用車に同乗していたいずれも県立高校3年の和田一紀さん(18)=同県熊野市有馬町=と打屋篤士さん(18)=同=の2人が頭の骨を折るなどして死亡,双方の車の計5人が軽傷を負った。死亡した2人は別の高校だが,いずれも同日,卒業式の予定だった。

 県警紀宝署の調べでは,軽乗用車には定員4人を超える6人が乗車していた。運転の高校生ら三重県などの県立高校3年の男子生徒4人(いずれも18歳)が軽傷。西さんも足などにけが。

 軽乗用車を運転していた男子生徒は,2月15日に運転免許を取得したばかりで,車は家族が業者から借りていた代車だった。現場は片側1車線の見通しの悪い緩いカーブ。どちらかの車が中央線を越えたとみて調べている。事故当時,小雨が降っていた。

 6人の高校生はほとんど学校は異なるが,遊び仲間だったらしい。乗用車は和歌山方面から三重方面へ向かう途中とみられ,同署は6人の行動を調べている。

【汐崎信之】 (毎日新聞) -2006年 3月1日17時24分更新

*大 坂 「どうしてこうなるんだろうね?もう"若さがスリルを求めている"とでも言うしか仕方がないねぇ。」

*Aさん 「"命知らず"としか言いようがないですねえ。」

*B 君 「でも,ちょっと分かるなぁこの気持ち。尾崎豊の曲なんか聞くと,なんかそのへんぐっと来るものあるでしょう?"教室の窓ガラス割って"みたり,"盗んだバイクで走って"みたりね。」

*Aさん 「B君,そんなことやってるの?」

*B 君 「話だよ!話!」

*大 坂 「じゃぁ,この曲はどうだい。」

HIGHWAY STAR Deep Purple 1971

ハイウェイ・スター ディープ=パープル 1971年

*B 君 「うゎー,これすごくカッコイイ曲ですね。ギター・ソロなんて鳥肌が立つみたい。」

*Aさん 「それにオルガンですか?なにかロックなんだけれどクラッシックみたいで,すごく上品。」

*大 坂 「1960年代の末期ころから70年代にかけて大音量でテクニカルな演奏を行う"ハード・ロック"という新しいロックのジャンルが生まれたのだけれど,その代表選手がレッド=ツェッペリンと,このディープ=パープルなんだ。特にディープ=パープルは,クラッシック音楽を基礎としたロックの"様式美"を作り上げたと言われているんだね。Aさんが言ったようにジョン=ロードが弾いているオルガン・ソロなんて,バッハの影響をもろに受けていることがありあり分かる。"ジーンズ","ギター"とくると,やっぱり車かバイクが"若者のシンボル"ということになるのだろうけれど,この『ハイウェイ・スター』を聞くとそんな"暴走する若者"のイメージが広がってくるね。」

*B 君 「なんかカッコよさはものすごくよく分かるけど,やっぱり僕はまだ死にたくはないや。」

*大 坂 「本当にね。」

2.生き急ぐ若者〜"イジメ"と早すぎる死

*Aさん 「先生,ちょっと相談に乗ってください。」

*大 坂 「どうしたんだい。突然改まって。」

*Aさん 「実は…私のいとこ,中学2年生の女の子なんですけれど,どうも最近学校でイジメにあってるみたいなんです…。」

*大 坂 「えっ,そりゃ大変だ。だけどそれは確かなの?」

*Aさん 「間違いないと思います。教科書に『バカ』とか『死ね!』とか書いてあるのを偶然見かけたんです。本人ははっきりと言わないんですけれど,なにか隠し事しているみたいで…。心配性だからあんまり悩ませちゃ悪いと思って,その子のおばさんにもうちの両親にも何も言ってないんですけど,私どうしたらいいのかと思って…。」

*大 坂 「ちょっと事情を詳しく教えてよ。」

*Aさん 「はい,えーと…」

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*大 坂 「なるほど,困ったことになっているみたいだけれど,担任の先生はどうおっしゃっているんだろう?」

*Aさん 「まだ,何もご存じないみたいです。」

*大 坂 「やはり生徒の一番そばにいるのは担任の先生だからね。先生に事情を説明して力になってもらうのが一番じゃないかなぁ。」

*Aさん 「そうですねぇ…分かりました。彼女に勇気を出して担任の先生に相談してみるよう言ってみます。」

*B 君 「何ですか,2人とも深刻な顔して…。」

*Aさん 「もーB君,大遅刻でしょう!今何時だと思っているの?」

*B 君 「いや,毎日忙しくてね,寝る間も惜しんで勉強しているとついつい朝寝坊するのさ。ファ〜。」

*大 坂 「昨日,授業中寝ていたのは何を惜しんでいたわけ?」

*B 君 「おや,先生知ってたんですか?こりゃお人が悪い。」

*Aさん 「何2人とものんきなこと言ってるんですか。私がこれほど悩んでいるというのに…。」

*B 君 「何マジに怒ってるんだよ?」

*大 坂 「いや,実はね…」

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*Aさん 「どうしたのB君。黙っちゃって…。いつもの脳天気なB君らしくないじゃない。」

*B 君 「うん。…実は僕,中学校のときは"いじめられっ子"だったんだ。」

*Aさん 「えー,信じられない!うそでしょう?」

*B 君 「うそじゃないよ。僕ね,中学2年の2学期に父の仕事の都合で中学校を転校したんだ。そのせいで新しい学校では"よそもの"扱いをされて,筆箱を隠されたり教科書に落書きされたりいろんな嫌がらせを受けたんだ。そりゃすごくつらかったよ。本当に死んでしまいたいほど悩んで,転校させた親を恨んだなぁ。」

*Aさん 「でも,どうやって解決したの?」

*B 君 「解決ってほどのことはなかったような気がするなあ。3年生になったらみんな高校の受験勉強に忙しくなって,人をイジメている暇なんかなくなったみたい。内申書が気になって先生の目を気にしていたせいもあるみたいだけれど…。」

*Aさん 「ひどい。私,今日B君のことがちょっと好きになったわ。」

*大 坂 「おやおや,こんなところで"愛の告白"ですか。」

*Aさん 「もー,先生大っ嫌い!ほんとにデリカシーがないんだから。先生にはいじめられた人の気持ちなんて分からないんでしょう!?」

*大 坂 「そんなことはないよ。私だってそんなに深刻なものじゃなかったけれどイジメられた経験ぐらいあるし,死にたいと思ったこともあるよ。」

*B 君 「イジメた経験でしょう?」

*大 坂 「ウルサイ!真面目な話ですよ,これは。その頃こんな曲が大ヒットしていて,若者はみんな"孤独感"に浸っていたね。"歌は世に連れ,世は歌に連れ"なんて言うけれどそれは本当だね。1960年代の若者は学生運動とか何とか何か情熱を発散させることができるものがあったけれど,70年代になると何か若者がみんな疲れ切ったみたいなムードでね。"死"があんなに身近に感じられた時代はないんじゃないかな。」

ALONE AGAIN Gilbert O'saullivan 1972

アローン・アゲイン  ギルバート=オサリヴァン 1972年

 この曲は1972年世界最大の大ヒット曲。歌っているのはアイルランド系のピアノ弾きのシンガー・ソングライター,ギルバート=オサリヴァン。まさにこの曲から70年代が始まったとさえ言えるだろう。

*大 坂 「どうしたのAさん。泣いてるの?」

*Aさん 「だって先生,この曲スゴイ。絶対誰でも泣けますよ。悲しくなって,泣きながら,涙流しながら,でも何だか,よし頑張って生きてやるぞ!っていうような気持ちがわいてきて…。不思議な曲です。でも,本当にすてきなメロディ。」

*B 君 「しかしこの曲を聴くと,先生が死にたいって思った理由はやっぱり失恋ですね。」

*大 坂 「ゴホン。あー,そんなことはどうでもよろしい!」

*B 君 「まあ先生が死のうが死ぬまいが僕の知ったこっちゃないけれど,とにかく青少年のあいつぐ自殺は大問題ですよ。やっぱり"イジメ"は多いんですか?」

*大 坂 「現在は一時期ほど報道はされていないけれど,2000年代になってからでもイジメを苦に自殺したと見られる事件が6件,イジメの結果暴行殺人となったものが7件(未遂,報復含む 参考:ジャーナリスト武田さち子さんのサイトhttp://www.jca.apc.org/praca/takeda/index.html)もあるんだ。イジメによる自殺事件が最も問題になったのは,もう少し前のことになるけれど,1980年代から90年代だね。80年代には31件,90年代にはなんと62件にも上ったんだ。この新聞記事を見てごらん。」

◎『朝日新聞』 夕刊 1994(平成6)年 12月6日(火)

いじめ自殺,今年5件

「×日 金渡した」。悲痛なメモ
「真実言えぬ子たくさん」と父
「しね」。ノートに他人の筆跡

 いじめを苦にしたと見られる中学,高校生の自殺が今年,愛知県西尾市の中学2年生・大河内清輝君(13)で少なくとも5人に上っていることが,6日現在の朝日新聞社の調べでわかった=表。同級生に金を要求され,家から持ち出しながら親に言えず,遺書で初めて明かした清輝君と同じ苦しみの末に死を選んだ子もいた。この子たちが発していた「SOS」を読みとることはできなかったのだろうか。 いじめと関連するとみられる子どもの自殺

発見日 場所 学年・歳 遺書など/原因・刑事処分など

5月

30日 岡山県

総社市 中学3年(14) 殴られたり金を取られたりしたとして,遺書に同級生の名前

→同級生7人を短期保護観察処分(家裁)

6月

3日 愛知県 安城市 高校1年(15) 「中学時代の同級生に金をたかられ,殴られた。いやになった」

→中学時代の同級生3人を恐喝容疑で 書類送検(警察)

7月

5日 東京都

江戸川区 中学3年(14) 「いつもいつもいじめられて,もう学校に行きた ない」

→組織的ないじめは確認できず (警察,学校)

7月

15日 神奈川県

津久井町 中学2年(14) ノートや副読本に本人でない筆跡で「きえろしね」

→いじめによるとの確証はない,と町教育長が答弁

11月

27日 愛知県

西尾市 大河内君

中2(13) 「14年間本当にありがとうございました。僕は旅立ちます。」

→同級生11人が現金の要求や暴行,いじめを認める

 5月30日,岡山県総社市の林の中で死んでいるのが見つかった中学3年生(14)は,そばに,「×日 Aに×円を持って来いと言われたので,家から持ち出した」「×日 Bにお金を渡した」などと書いた3枚のメモを残していた。

 家出は,今年3月ごろから,数千円や1万円単位でお金がなくなっていた。それとメモの日付はほぼ致した。当時,この中学生は「僕じゃない」と否定していた。顔や足にあざを作って帰宅することもあったが,清輝君の場合と同じく,同級生による暴行を周りは見抜けなかった。

 自殺したのは修学旅行から帰った直後。1万円の小遣いを持っていったが,家族への土産はわずか,旅行中は同級生に百円貸してほしい」と頼んでいたという。

 父親は「息子はなぜ本当のことを言わないのかと思っていた。でも,言わなかったのではない。言えなかったんです。そんな子が他にもたくさんいるはずです」と語っていた。

 学校側はこの子の異変に気づきながら積極的な防止策をとっていなかった。

 6月3日,愛知県安城市の高層住宅から飛び降り自殺した市内の高校1年生(15)は,直前に友人宅で「もういやになった。死にたい」ともらしていた。同じ中学の卒業で別の高校に行った知人3人から「金をたかられ,殴るなどの暴行を受けた」という内容の走り書きを,自宅に残していた。愛知県警は3人を,この高校生の腹を殴り,5千5百円を脅し取った疑いで書類送検した。いじめは中学卒業のころから続いていたという。

 7月5日には,東京都江東区の高層住宅から中学3年生(14)が飛び降りた。自宅の机の上に「いつもいつもいじめられて,もう学校に行きたくない。殴られたり,けられたりしている。自分の嫌がることを全部おれにやらせようとしている」「金を払え,と言われて,持って行かなかったので殴られた」と鉛筆で書いたメモを置いていたという。

 同月15日,神奈川県津久井町の自宅で死んだ中学2年の男子生徒(14)は,ノートや副読本に本人ではない複数の筆跡で,「みんながきらっているぞ!」「バーカ」「しね」などといたずら書きをされていた。自殺した当日は,教室のいすに画びょうが置かれ,机にマーガリンが塗られていた。この生徒は4月に転校してきたばかりだった。

 江戸川区の事件について学校側と警察は「組織的ないじめは確認できなかった」としている。また,津久井町の事件は「報道された内容の一部はあった」「いじめによる死亡との確証はつかめていない」と,町教育長が議会で述べている。

*Aさん 「うゎー,こんなにいじめがあったんですか!」

*大 坂 「まあ,これは自殺者の数だから氷山の一角だね。実際にはもっともっと多いはずだよ。特にこの最後の大河内清輝君の事件はショックだった。"遺書"が発表されたりして…,読んだら涙が出たよ。」

◎『朝日新聞』 1994(平成6)年 12月3日(土)

 11人の生徒が関与 取った金で「遊ぶ」 愛知の中2自殺

愛知県西尾市の市立東部中学2年生大河内清輝君(13)が,いじめを苦に遺書を残して自殺した事件で,1日夜に謝罪した4人のほかに,新たに同じ2年生の7人の生徒が現金を要求するなどのいじめに加わっていたことが同市教育委員会の調べで2日,わかった。西尾署も同日午後,謝罪した4人の生徒から話を聞いたが,清輝君から取ったお金は「ゲームセンターなどで使った」などと話した,という。

 同市教委などの話では,1日夜,清輝君の残したメモに実名が記されていた4人の生徒が謝罪に訪れた際に問いただしたところ,新たに数人の名前が出た。このため,学校側が2日,この生徒らにも話を聞いたところ,7人がいじめに加わったことを認め,同日夜,清輝君の自宅に謝罪に訪れた。いずれも,日頃から清輝君と一緒に遊んでいた仲 間だという。また,実名の記された4人のうちの2人は,「何回かに渡って取ったので,それぞれ3十万円,5十万円ぐらいになる」と話したという。

 一方,西尾署の調べに対し,遺書に実名が挙がった4人の生徒は「清輝君から取った金はゲームセンターや飲食代,カラオケ,衣服を買うなど遊ぶために使った」と話しているという。

 遺書にあった「最近は毎日のようにお金を要求したこと」「家に遊びに来たとき,母親のネックレスを盗んだこと」「水深5−6メートルの深みに連れて行き,逃げようとするとまた足をひっぱっりおぼれさせたこと」についても,事実をほぼ認めているという。

 清輝君の母親の有子さんは「最近は給料袋の中から1万円札ばかりがなくなったこともあった。少額だった最初のうちに気づかなかったことが悔やまれます。きちょうめんな子でしたし,残した借用書に記入された百十万円を自宅から持ち出し,渡していたことはまず間違いないと思う」と話している。

 また父親の祥晴さんは「川に頭から沈めるなど一歩間違えば死ぬような恐怖を味あわせていたにもかかわらず,謝罪に来た一部の生徒は『面白かった』と話すなど事態の重要性を認識していない様子で,がく然として言葉もなかった」と語った。

大河内君の遺書(全文)

 いつも4人の人(名前が出せなくてスミマせん。)にお金をとられていました。 そして,今日,もっていくお金がどうしてもみつからなかったし,これから生きて いても…。だから…。また,みんなといっしょに幸せにくらしたいです。しくし く。小学校6年生ぐらいからすこしだけいじめられ始めて,中1になったらハードになって,お金をとられるようになった。中2になったら,もっとはげしくなって 休みの前にはいつも多いときで6万,少ないときでも3万〜4万,このごろでも4万。そして17日にもまた4万ようきゅうされました。だから…。でも,僕がことわっていればこんなことには,ならなかったんだよね。スミマせん。もっと生き たかったけど…。家にいるときがいちばんたのしかった。いろんな所に,旅行につ れていってもらえたし,何一つ不満はなかった。けど…。

 あ,そうそう!お金をとられた原因は,友達が僕の家に遊びにきたことが原因。いろんな所をいじって,お金の場所をみつけると,とって,遊べなくなったので,とってこいってこうなった。オーストラリア旅行。とても楽しかったね。あ,そー いえば,何で奴らのいいなりになったか?それは,川でのできごとがきっかけ。川につれていかれて,何をするかと思ったら,いきなり,顔をドボン。とても苦しいので,手をギュッとひねって助けをあげたら,また,ドボン。こんなことが4回ぐらい?あった。特にひどかったのが,矢作川。深い所は,水深5〜6mぐらいありそう。図1みたいになっている。ここでAにつれていかれて,おぼれさせられて,矢印の方向へ泳いで逃げたら,足をつかまれてまた,ドボン,しかも足がつかないから,とても恐怖をかんじた。それ以来,残念でしたが,いいなりになりました。あと,ちょっとひどいこととしては,授業中,てをあげるなとかテストきかん中もあそんだとかそこらへんです。

 家族のみんなへ

 14年間,本当にありがとうございました。僕は,旅立ちます。でも,いつか必ずあえる日がきます。その時には,また,楽しくくらしましょう。お金の件は,本当にすみませんでした。働いて,必ずかえそうと思いましたが,その夢もここで終わってしまいました。そして僕からお金をとっていた人たちを責めないで下さい。僕が素直に差し出してしまったからいけないのです。しかも,お母さんのお金の2万円を僕は使ってしまいました(でも,1万円は,○○さん〔おばの名〕らもらったお年玉で,バッグの底に入れておきました)まだ,やりたいことがたくさんあったけれど,…。本当にすみません。いつも,心配をかけさせ,ワガママだし,育てるのにも苦労がかかったと思います。おばあちゃん,長生きして下さい。お父さん,オーストラリア旅行をありがとう。お母さん,おいしいご飯をありがとう。お兄ちゃん,昔から迷惑をかけてスミマせん。△△〔弟の名〕ワガママばかりいっちゃダメだよ。また,あえるといいですね。最後に,お父さんの財布がなくなったといっていたけれど,2回目は,本当に知りません。

  see you again

 いつもいつも使いばしりにもされていた。それに,自分にははずかしくてできないことをやらされたときもあった。そして,強せい的に,髪をそめられたことも。でも,お父さんは僕が自分でやったと思っていたので,ちょっとつらかった。そして20日もまた金をようきゅうされて,つらかった。 あと,もっとつらかったのは,僕の部屋にいるときに彼らがお母さんのネックレスなどを盗んでいることを知ったときは,とてもショックだった。あと,お金をとっていることも…。

 自殺した理由は今日も4万とられたからです。そして,お金がなくて,「とってこれませんでした」っていっても,いじめられて,もう1回とってこいっていわれるだけだからです。そして,もっていかなかったら,ある一人にけられました。そして,そいつに「明日,12万円もってこい」なんていわれました。そんな大金はらえるわけありません。それに,おばあちゃんからもらった千円も,トコヤ代も,全て,かれらにとられたのです。そして,トコヤは自分でやりました。とてもつらかったでした(23日)また今日も,1万円とられました(24日)そして今日は2万円もとられ,明日も4万円ようきゅうされました(25日)あと,いつも,朝はやくでるのも,いつもお茶をもっていくのも,彼らのため,本当に何もかもがいやでした。

なぜ,もっと早く死ななかったかというと,家族の人が優しく接してくれたからです。学校のことなど,すぐ忘れることができました。けれど,このごろになって,どんどんいじめがハードになり,しかも,お金もぜんぜんないのに,たくさんだせといわれます。もう,たまりません。最後もご迷惑をかけて,すみません。忠告どおり,死なせてもらいます。でも,自分のせいにされて,自分が使ったのでもないのに,たたかれたり,けられたりって,つらいですね。

僕はもうこの世からいません。お金もへる心配もありません。1人分食費がへりました。お母さんは,朝ゆっくりねれるようになります。△△も勉強に集中できます。いつもじゃまばかりしてすみませんでした。しんでおわびいたします。

 あ,まだ,いいたいことがありました。どれだけ使い走りにさせられたかわかりますか。なんと,自転車で,しかも風が強い日に,上羽角からエルエルまで,たしか1時間でいってこいっていわれたときもありました。あの日はたしかじゅくがあったと思いました。あと,ちょくちょく夜でていったり,帰りがいつもよりおそいとき,そういう日はある2人のために,じゅくについていっているのです。そして,今では「パシリ1号」とか呼ばれています。あと,遠くへ遊びにいくとかいって,と中で僕が返ってきたってケースはありませんでしたか。それは,金をもってとってこいっていわれたからです。あと,僕は,他にいじめられている人よりも不幸だと思います。それは,なぜかというと,まず,人数が4人でした。だから,1万円も4万円になってしまうのです。しかもその中の3人は,すぐ,なぐったりしてきます。あと,とられるお金のたんいが1ケタ多いと思います。これが僕にとって,とてもつらいものでした。これがなければ,いつまでも幸せで生きていけたのにと思います。テレビで自殺した人のやつを見ると,なんで,あんなちょっとしかとられていないんだろうっていつも思います。最後に,おばあちゃん,本当にもうしわけありませんでした。

 

*B 君 「ひどい!ひどすぎます!こいつら人間じゃない。」

*Aさん 「先生は『弱いものほどさらに弱いものを襲う。いじめっ子は実は弱者なのだ』とおっしゃったけど,このいじめっ子たちも,やっぱりかばってやらなくちゃいけないのですか?」

*大 坂 「"かばう"ことはできないと思うよ。昔は『いじめられる側にも原因がある』なんて議論もあったけれど,最近はあたり前のことだけど"被害者に罪はない"という主張が一般的になってきて,加害者は厳しく断罪されるべきだと考えられるようになってきた。しかし,なぜこのいじめっ子たちがこんな行為に走ったかという原因は,追及して行かなければならないと思うんだ。それからもうひとつ,清輝君は『なぜ死を選んだか』ということについてもね。」

*B 君 「『なぜ,いじめっ子がいるか』ですか?先生の言いたいことは,きっと『青年期だから心のバランスを欠いて過激な行動にうつるんだ』とかなんでしょう?もちろんそうなのかもしれないけれど,それだけですましてしまうわけには行かないんじゃないですか?」

*Aさん 「そう,そう。それに『清輝君はなぜ死を選んだか』なんて,結局いじめられた側が悪いって言っているようなもんじゃないですか。今日は,私先生の言われることが納得いきません。」

*大 坂 「加害者が悪くないとか被害者にも責任があるとか,そんなことを言っているんじゃないんだ。加害者がなぜイジメを行ったかを考えることによって,次の加害者が出現するのを防止できるかもしれないし,なぜ死を選んだかという問題を考える中で,当時の文部省も『子どもたちよ,死ぬな』というキャンペーンを始めることになったんだ。特に自殺の問題については,この場でもう少し考えてみたいね。」

 "自殺"の原因を理論的に考えてみるならば,とりあえず次のような理由が考えられる。人間には誰しも"欲求"がある。さまざまな種類の欲求があるが,ともあれその欲求が満たされた場合には"満足"があり,満たされなければ"欲求不満"が生ずる。そしてその欲求が満たされない限り,人はどうにかしてその"欲求不満"にケリをつけなければならないのである。そのケリのつけ方にはさまざまなタイプがある。たとえば,好きな女性がいるが彼女にフラれてしまった少年を例に考えてみよう。この少年がとるべき行動は4つある。

1. 「彼女にフラれたのは自分が未熟であったのだ」と反省し,彼女にふさわしい男性になろうと部活動・勉強など懸命に努力する。

2. 「おれをフルなんてとんでもない女だ」と逆恨みし,彼女の家に放火する,あるいはうっぷんばらしのためにバイクで暴走行為を繰り返す。

3. 心の中でさまざまな立場からこの問題について考え,見た目だけは何とか解決したような状況をつくる

4. 毎日泣いて過ごす,ノイローゼ・精神障害に陥る,自殺する

そして,このうち「1」を「合理的解決」,「2」を「攻撃及び近道反応」,「3」を「防衛反応」(「適応規制」),「4」を「失敗反応」と呼ぶ。「合理的解決」ができれば問題ないが,「攻撃及び近道反応」が起きれば人は反社会的行動に走り,暴力を振るったり犯罪を犯したりすることになる。また「防衛反応」に関して言えば,ひとまずそれが成功すれば人は心の健康を保つことができるが,失敗すればやはり精神障害に陥ることもある。そして「失敗反応」こそが今ここで問題にしている自殺の原因ということになるのだが,今まで取り上げてきたさまざまな青年期の諸問題も,つまるところ欲求不満解消の失敗ということができよう。これは,幼児も大人も基本的には同じ心の働きであるはずである。ところが,特に青年期の場合に「攻撃及び近道反応」や「失敗反応」が問題とされるのは,やはり若者がマージナル・マンゆえの「生きているだけで24時間慢性欲求不満状態」に置かれているということに原因があるのではないだろうか?また,若者はアイデンティティが確立していないために他者の影響を受けやすい。自分に大きな影響力を持つ人物が死(特に自殺)を遂げた場合,若者のいわゆる"後追い自殺"が後を絶たない。これは今に始まったことではなくて,たとえば18世紀のドイツでは文豪ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』がベストセラーとなったが,失恋を苦にピストル自殺を遂げる青年ヴェルテルに影響を受けたドイツの青年たちの間にピストル自殺することが流行し,政府は慌ててこの小説を発禁処分にしたといわれる。また,1986年4月アイドル歌手の岡田有希子さん(当時18歳)が事務所ビルから飛び降り自殺を遂げた後,彼女と同世代のハイティーンの自殺者は前月3月の2倍以上にふくれ上がったという事件があった。20代前半でも前月より25%も多いという急増ぶりで,これは当時"ユッコ・シンドローム"とも言われ大きな問題になった。このときは「マスコミが騒ぐことによってかえって自殺を助長する」との批判が出て"報道自粛"の動きもあったが,1990年代のイジメ自殺報道でも同様のことが言われている。しかし,だからといって「若者が自殺するのはその特質から言って仕方がないことだ」などと言うわけにはいかない。実際には青年が自ら命を絶った場合,どうして自殺したのかわからない"という場合が非常に多いのも確かである。とにかく我々はこの不安定な青年期の心理をしっかり把握することによって,自殺を未然に防ぐ道を模索することが必要なのである。

*B 君 「つまり,いじめっ子は欲求不満から「攻撃及び近道反応」に走り,自殺者はその苦しみの中で「いじめっこと話し合いをする」とか「先生に訴えて解決する」とかいったような「合理的解決」ができずに「失敗反応」しちゃったというわけですね。」

*大 坂 「言葉だけで言えばまあそうだね。だから私たちは全力をあげて,子どもたちがこの"合理的解決"を行うことができるよう援助していかなくちゃならないんだ。でも,青年期の不安に揺れる心は一面でとてもエゴイスティックだね。確かに,苦しくてたまらないから死にますと言うのはどうしようもないことで,そういう意味から言えば自殺するのは個人の"勝手"かもしれない。だけど,自分の命を大切に出来ないものに他人の命を大切にすることができるのだろうかな?昔,朝日新聞に『明るい悩み相談室』という欄があった。コピーライターの中島らも氏が読者の冗談とも本気ともつかぬ悩みに面白おかしく答えるという趣向なんだけど,私はある日この欄を見て思わずギョッとなって,いまでも切り抜きを持っているんだ。ちょっと読んでごらん。」

◎『朝日新聞』 「明るい悩み相談室」より回答:中島らも(コピーライター)

Q:よくドラマや映画で,飛び降り自殺をしようとしている人を通りがかりの人が見つけて「おい,やめろーっ」っと叫ぶ場面があります。ほんとうは「やめようかな」とためらっていた人でも,「やめろーっ」と下から注目されると意地になって飛び降りてしまうこともあるでしょう。飛び降りた人はそれっきりなのでいいですけど,「やめろーっ」とどなった人は一生「あのとき何というべきだったのか」と悩むと思います。らもさんなら何と叫びますか?(相模原市 杞憂?)

A:いろいろ考えてみたのですが,変な結論に達してしまいました。そういう場面で一番効果のある思いとどまらせ方は

「こらっ。後で道路を掃除する人のことも考えろっ!」

 とどなることではないかと思うのです。あるいは

「そんなとこから飛び降りて,子どもにでもあたったらどうするつもりだ!」

 でもいいかもしれません。

 暗い話で恐縮ですが,僕も今まで死にたくなったことが2回だけあります。そのときに思いとどまった直接の原因は,後がどうなるか,ということでした。無意識のうちに,何か思いとどまるための大義名分をさがしていたのかもしれません。

 たとえば手首を切る方法を選んだとして,家でそれをやったら,タタミからフスマから,天井から,全部張り替えないといけないでしょう。ふろ場なら洗うだけで済むかもしれませんが,後々,家族はおふろにはいるたびに気味の悪い思いをしなければなりません。

 死ぬのは勝手ですが,勝手なことをする以上せめて人にかける迷惑は最小限にすべきでしょう。ところがそういう風に考えていくと,人に迷惑を与えないとか,他人の一生に悲しい影を落とさないで済む自殺などというものはないのです。それなら不本意では あるけれど,やめようか,ということになります。

 ですから,飛び降りにしても

「自分で自分の後始末ができるのなら飛び降りろ」としかられると返す言葉につまると思います。

 

*B 君 「なるほどね。なんか"自殺"っていうと,今までちょっと"カッコイイ"という気がしてたけど,そんな甘いもんじゃないんですねぇ。」

*大 坂 「そりゃそうだよ。『後始末』云々は別にしても,列車に飛び込んで自殺すれば鉄道会社が乗客に払い戻した運賃が賠償金として遺族に請求が来るし,入水自殺だって漁船を動員して捜索したりするとものすごく高くつく。結局,人間は一人で生きているわけじゃないんだから,他人に迷惑をかけずに死ぬことなんて不可能なんだよ。日本で『持ちつ持たれつ』っていう諺を,英語では"Live and let live."(自分が生きろ,そして他人も生かせ)というんだ。自分がまともに生きることができない人間が,はたして他人を生かすことができるのだろうかな?若者は純粋で,それだからこそ"視野が狭い"ものだ。でもこんな時代だからこそ,自分と他人の命の尊さをよくかみしめてもらいたいね。」

*Aさん 「本当ですね。先生も,たまにはいいこといいますね。見直しました。」

*大 坂 「ごあいさつだねぇ。」

*Aさん 「でも,さっき先生は,自分も自殺したいって思ったことがあるっておっしゃってましたけど,先生はどうやって立ち直ったんですか?賠償金がもったいなかったんですか?」

*大 坂 「返す返す失礼な人だね。まあとにかく,私が死ぬのを思いとどまったのはやっぱりこの曲のお陰かな。」

LET IT BE The Beatles 1970

レット・イット・ビー ザ=ビートルズ 1970年

 ビートルズが自らの意志でリリースした最後のシングル・レコードとなったこの『レット・イット・ビー』は,基本的にはカトリックであるポール=マッカートニーが,"Mother Mary" という言葉に"聖母マリア"と彼が16歳のとき乳ガンでなくなった彼の母メアリ=マッカートニーの二重の意味を持たせてゴスペル(黒人聖歌)風に切々と歌いあげた名曲である。"Let it be."とは「そのままにせよ,なるがままにせよ」という意味であるが,そこには日本的・親鸞的な「人間は無力な存在であるから,自らの力をあてにせず,自らを捨てて仏の力に頼ろう」という意味での"他力本願"ではなく,「努力が結果を生むが,それを最後に裁くのは神である」というカトリシズムを読み取りたい。

*Aさん 「この曲は有名だから私でも知っていましたけど,こんな意味があったんですね。」

*B 君 「でも『あとは野となれ山となれ』なんて,ちょっと無責任な歌じゃないんですか?」

*大 坂 「まぁ,デリカシーのないやつ!この歌の真意はこうとってもらいたいね。つまり,『長い人生においてはどんなに努力しても自分の力ではどうしようもない苦境に陥ることもある,しかしそのとき,いたずらに悲嘆したり自暴自棄に陥ったりするのではなく,できるかぎりの努力をしたのならそれでいいじゃないか,きっと結果は後からついてくる,人事を尽くして天命を待て』ということさ。私はこの言葉におおいに助けられたんだよ。」

*Aさん 「"Let it be."か。やるだけやったら,もうそれでいいじゃないかっていうことですね。」

*大 坂 「そのとおり。だからね,これは声を大にして言いたいことなんだけれど,君たち若者に対する土壇場でのアドバイスは,『今,どんなに苦しいことがあってもとりあえず我慢しなさい。とにかくあと5年我慢しなさい。そうすれば今は死にたいほど悩んでいることも,"あのときはどうしてあんなことで死にたいなんて思ったのだろう"と笑って話せるときが来る』ということなんだ。」

*Aさん 「5年たったらどんな問題も解決するっていうんですか?」

*大 坂 「いや,そういうわけじゃない。ただね,今君たちが悩んでいることは,アイデンティティが確立する以前のマージナル・マンとしての悩みが多いんだ。つまり,『もう"こども"じゃないけれど,まだ"おとな"じゃない』ゆえの悩みというかな。たとえば,好きな女の子がいるけれどまだ若すぎるからという理由で両親が結婚に反対していて死にたいほどつらいという悩みは,君たちが"おとな"になれば意味がなくなってしまうわけだし,容姿についての悩みもすっかり"おとな"になってアイデンティティが確立されれば,『私は私よ,文句があるか,顔よりは実力で判断してくれ』という気持ちにもなれる。だから,高校生にはもう5年我慢しなさいって言うんだ。」

*B 君 「なるほど先生,たまにはいいこと言いますね。」

*大 坂 「本当に怒るよ!」

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