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「ロックで学ぶ現代社会」rock meets education

第2部 『現代の政治・経済とわたしたちの生活

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第5章 人間の尊厳と平等−人種問題・さまざまな差別

*Aさん 「B君。珍しいわね,あんたが新聞読んでるなんて。」

*B 君 「うん,ちょっと気になることがあってね。」

*Aさん 「何?」

*B 君 「裁判員制度のことなんだ。」

*Aさん 「ああ,国民が裁判員として重大な刑事事件の裁判に参加して,裁判官と一緒に有罪・無罪や刑の内容を定めるというシステムね。」

*B 君 「よく知ってるねぇ?」

*Aさん 「今朝その新聞読んだの。!(^^)!」

*B 君 「あ,っそう。(~_~;)」

*B 君 「僕も将来は選ばれるかもしれないからねぇ…。ちゃんと勉強しておかなくちゃ。いろいろ難しいことがあるみたいだし…。アメリカなんかでは陪審員制度の問題点も指摘されているしさ。ところでAさん,君は"シンプソン裁判"についてどう思う?」

*Aさん 「ああ,あのアメリカのプロ・バスケット界の元黒人スーパースター,O・J・シンプソンが,奥さんを殺したという嫌疑で逮捕されたやつでしょう。自殺するって言って高速道路を逃げ回ったりして,ワイドショーはものすごい視聴率だったらしいわね。」

*B 君 「またまたよく知ってるねぇ?」

*Aさん 「だから,今朝その新聞読んだって言ったでしょ!(-o-)」

*B 君 「あぁそうだったね。で,どう思う?」

*Aさん 「だから,何がよ?」

*B 君 「だから,無罪になったってことだよ。」

*Aさん 「だって,裁判でそう決まったんだからしょうがないんじゃない?」

*大 坂 「しょうがないですませたら,しょうがないよ。」

*Aさん 「あれ,先生,いつの間に?」

*大 坂 「何がいつの間にですか。とっくにチャイムは鳴っていますよ。」

*B 君 「ねえ,先生はどう思います。」

*大 坂 「そうだね。本当にやっていないのならもちろん無罪で当然なんだけれど,アメリカの裁判制度は日本のものとは大きく違って陪審員がいるからね。専門家ではなくて"一般人が罪を裁く"という考えがあるからだ。この裁判も捜査員に人種偏見があったことが暴露されて,それが結局陪審員の心証を左右したんじゃないかと言われている。でももしそれが本当なら,"法のもとの平等"という理念が踏みにじられたことになるけれどね。」

*Aさん 「それって,黒人差別が判決に影響したと言うことですか?」

*大 坂 「一言で言えばそういうことだ。普通とは逆の意味でだけれど。まだまだ,アメリカには人種偏見があるんだね。」

*B 君 「でも,どうして人種差別なんかがあるのかなあ?同じ人間なのにね。」

*大 坂 「もちろんそのとおりなんだけれども,これは根が深い問題だ。アメリカの黒人問題とは様相がかなり違うけれど,日本にだって在日韓国・朝鮮人問題とかあるし,"イジメ"だって,結局は"多数派の少数者迫害"という側面があるだろう。人間というのは結局は弱いもので,大きな集団に入っていないと不安でしょうがないところがあるんだ。」

*Aさん 「人種差別はいまでも激しいんですか?」

*大 坂 「うーん。具体的に話をするとね…」

 世界には黄色人種(モンゴロイド)・黒色人種(ネグロイド)・白色人種(コーカソイド)の3大人種が存在する。(オーストラリア方面の原住民族アボリジニーを含めて,4大人種と数える場合もある。)これは,人間を,その外見的な身体的特徴で分けた分類であるが,それぞれの特色を表にまとめると,次のようになる。

名  称分  布肌の色その他の身体的特
モンゴロイド
(黄色人種)
東アジア
アメリカ大陸
黄褐色- 背が低く手足が短い,
一重で細い眼鼻は低い,髪は黒い,蒙古斑あり

*北方草原・砂漠生活に適応

コーカソイド
(白色人種)
ヨーロッパ
西〜中央アジア
(アメリカ)
白 色 - 背が高く手足が長い,
二重で大きな眼鼻は長い(高い),毛深い
眼は青,緑,灰色(色素が少ない)

*冷地森林生活に適応

ネグロイド
(黒色人種)
アフリカ
(アメリカ)
黒褐色- 鼻は幅広い,髪は縮れている

*熱帯生活に適応

 このように各人種がそれぞれの特徴を持っている。日本人は一般的に白色人種である欧米人を貴び,同じ黄色人種であるアジア人や,アフリカの黒色人種をさげすむ傾向にあるようだ。これは"脱亜入欧"をめざした明治時代の名残で,欧米帝国主義思想の受け売りである。英仏をはじめとする帝国主義列強は,白人優位=黒・黄色人種劣等思想にもとづき,次々とアジア・アフリカに植民地を拡大し,その地を"文明化した"と自賛した。しかしながら,それは明らかに誤った人種思想の賜物である。なぜならば黒人・白人・黄色人種と身体的形態は異なっているものの,我々人類は生物学的にはすべて同一種ホモ=サピエンス(Homo Sapiens)であり,その間に優劣の差はない。

 それではなぜ外見が異なっているかというと,我々モンゴロイド(特に北方系モンゴロイド)は,その進化の過程をゴビやタクラマカンなどの砂漠やモンゴルの大草原で過ごしてきた。したがって,吹き荒れる砂ぼこりや強烈な太陽光線に耐え,はたまた極寒の冬を過ごすためには,フランス人形のような2重まぶたの大きな目をしていたのでは非常に都合が悪いのである。また,そのような場所では,手足が短く身長が低い方が行動の自由がきく。すなわち我々は,北方草原や砂漠生活に適応しつつ"進化"を遂げてきたわけである。同様に,黒色人種は,熱帯の強烈な太陽からその身を守るためにメラニン色素を増加させ,黒褐色の肌を"作り上げた"。黒人と白人とを紫外線によって引き起こされる皮膚ガンの発生率でくらべると,比較にならないほど白人の方が高い。すなわち熱帯で生活を送るためには,白人よりも黒人の方が生物学的にはるかに優れているわけなのである。それは白色人種についてもまったく同じことである。北欧の優しいかすかな太陽光線のもとでは,肌や頭髪から色素が抜け,白い肌と金色の髪の毛と碧い目が出現する。そのことは,同じコーカソイドで,強烈な太陽が照りつける南欧の人々の黒い目と黒い髪の毛を見れば一目瞭然であろう。また,寒冷地森林地帯で生活するためには,肺に入る空気を暖めるために鼻は"長く"なければならないし,(人はこれを鼻が"高い"と言う),手足は長く背は高い方が都合がよい。また,体温維持のために寒冷地の生物ほど体躯が大きくなる傾向があるが,厳しい自然の中で農業生産力は当てにならないため,いきおい彼らは動物性たんぱく質に依存した食文化を育み,その結果逆に豊かな自然に恵まれたアジア・アフリカの人たちよりも巨大な体躯を作り上げていったわけである。  つまり,いずれにせよ,人類はそのふるさとの自然環境に適応しつつ進化を遂げてきたわけである。であるから,各民族間にたとえば"得意分野"のようなものはあるにしても(オリンピックの陸上短距離の表彰台が常に黒色人種で占められるのを見ると我々日本人はその思いを強くする!),その間に優劣というものがあるはずはない。人種とはそういうものなのである。

 しかし16世紀の大航海時代から地球的規模での活動を開始し,18世紀の産業革命以来世界最高レベルの機械文明を形成した欧米諸国は,前述したように,アジア・アフリカ諸国の諸民族の犠牲のもと自分たちの植民地を拡大してきたのである。ここでは特に"黒人奴隷"の問題にテーマを絞るが,欧米諸国はアメリカ大陸でモンゴロイド原住民,いわゆるインディオ/アメリカ・インディアンたちを酷使し,その数が激減するとアフリカから黒人を奴隷として導入した。それがアメリカの黒人問題の起源である。旧スペイン・ポルトガル系植民地,すなわちメキシコ以南のラテン・アメリカにおいては,白人と黒人・インディオ間の混血が進み人種対立は一元的には語られなくなっていったが,北米,特にアメリカ合衆国においては,タバコ・綿花などの大農場経営(プランテーション)のため黒人の単純労働奴隷を必要とし,その数は増加の一途をたどった。やがて,ストウ夫人の小説『アンクル=トムの小屋』(1852)などの告発により奴隷制反対の世論が(特に北部諸州で)高まり,その奴隷問題をひとつのきっかけとし南北戦争(1861〜65)が勃発した。その中で,合衆国の統一を守ろうとするリンカン大統領は1863年「奴隷解放宣言」を発し,ここに法的には奴隷制度は廃止された。しかし,合衆国社会に深く根を下ろした黒人蔑視の風潮は簡単に改まることはなく,その後も黒人は差別と偏見と貧困の中筆舌に尽くし難い苦難の歴史を送ってきたのである。

*Aさん 「それじゃあ,黒人はまだ差別に苦しんでいるのですか?」

*B 君 「あっ,僕テレビで見たことがある。オバケのQ太郎みたいなかっこうした人たちが,黒人の人形を燃やしていたよ。」

*大 坂 「それは,クー・クラックス・クラン(KKK)っていう黒人差別団体だね。黒人が迷信を信じていてオバケを怖がるというのであんなかっこうしているんだけど,ひと昔前は,本当に黒人をリンチして殺していたりもしたんだ。」

*Aさん 「わー,ひどい。でも,黒人の人たちは黙っているんですか?」

*大 坂 「もちろんずっと抵抗を続けてきたけれど,やっぱり合衆国の政治的・経済的実権を握っているのはWASP(ワスプ=White/Anglo-Saxon/Protestant )と呼ばれるイギリス系白人のキリスト教新教徒たちだから,その殻を破るのは大変なんだよ。黒人人口も現在は11パーセント程度だから,"多数決"を持ち出されると苦しいところだね。」

*B 君 「でも,黒人にもマイケル=ジャクソンみたいな大金持ちもいるじゃないですか。」

*大 坂 「もちろん黒人といってもいろいろな人がいるけれども,あんなに大成功した人はやはり少数派じゃないのかな。大多数の黒人は,現在でも貧困にあえいでいるし…。2005年のアメリカ南部のハリケーン被害では,"豊かなアメリカ"にあれほど多くの"忘れられた"貧困な黒人人口があることに驚かされただろう?」

*Aさん 「アパルトヘイト(人種隔離政策)みたいなのはあるんですか?」

*大 坂 「昔は確かにあった。」

*B 君 「昔って,リンカン大統領のころですか?」

*大 坂 「いやいや,1964年の公民権法成立の前さ。」

*Aさん 「1964年って言うと…」

*B 君 「昭和39年!東京オリンピックの年じゃないの!先生は,もう生まれていたでしょう。」

*大 坂 「当たっているけれど,ウルサイ!とにかくだ,それ以前には黒人は通えない学校があったりとか,法的にも黒人差別が正当化されていたんだよ。」

*Aさん 「ひどーい!でも,よかったですね。平等になって。」

*大 坂 「そんなに,口で言うほど簡単じゃなかったんだよ…。」

 リンカンにより奴隷としては解放された後も黒人の生活状態は大きく変わることはなく,悲惨な状態が簡単に改まることはなかった。しかし,第2次世界大戦後アジア・北アフリカの旧植民地諸国が次々に独立を達成し国連への加盟を果たす中で,それらの国々は,中華人民共和国やインドを筆頭にいわゆる"第3勢力"としての地位を確立してきた。その動きはついに黒人のアフリカ諸国にも飛び火し,1957年のガーナ共和国,58年のギニア共和国を皮切りに,1960年には一気に17のブラック・アフリカ諸国が独立するといういわゆる「アフリカの年」を迎えた。この激動はアメリカ合衆国の黒人たちにも大きな影響を与え,60年代初頭広範な黒人差別撤廃運動が盛り上がった。そしてその頂点が,1963年8月28日「奴隷解放宣言」100周年を記念して首都ワシントンDCで開かれた25万人以上の黒人大集会であった。(白人2.5万人を含む)

 この集会のクライマックスは,何と言っても,最後の弁士として登場した黒人指導者マーティン=ルーサー=キング牧師の演説であった。当時34歳であった若き指導者の次の演説がすべての黒人に夢と希望を与え,やがて翌年の公民権法成立へとつながってゆくのである。

…I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed, "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."
I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
I have a dream that one day even the State of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.
I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. I have a dream today.
I have a dream that one day down in Alabama - with its vicious racists, with its Governor having his lips dropping with the words of interposition and nullification - one day right there in Alabama, little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers. I have a dream today!
I have a dream that one day "every valley shall be exalted, every hill and mountain shall be made low, the rough place will be made plain, and the crooked places will be made straight, and the glory of the Lord shall be revealed, and all flesh shall see it together."

 私には夢がある。いつの日にかこの国民が立ち上がり,独立宣言の「我らは,人は皆平等に造られているという真理を自明のことと信ずる」という信条を真の意味で実行する時が来るという夢が。
 私には夢がある。いつの日にかジョージアの赤茶けた丘の上で,元奴隷の子どもたちと,元奴隷所有者の子どもたちが,兄弟のごとく同じテーブルにつけるという夢が。
 私には夢がある。いつの日にか,ミシッシッピー,不正と圧制にうだるミシシッピー州が,自由と正義のオアシスに変わらんという夢が。
 私には夢がある。いつの日にか私の4人おさな子が,肌の色ではなく,人間としての資質によって判断されるような国に暮らすことができるという夢が。今,そんな夢を見る。
 私には夢がある。いつの日にか南の奥のアラバマで,悪辣な人種差別主義者と公民権法への妨害とその無効を叫ぶ知事のいるそのアラバマで,いつの日か黒人の少年少女と白人の少年少女たちが,まるで兄弟姉妹のように手を携えて歩むことができるときが来るという夢が。私は,今,そんな夢を見ている。
 私には夢がある。いつの日にか(旧約聖書の言葉とおり)「すべての谷は高く,すべての丘と山は低く,荒れ地は平坦となり,曲がりくねった土地はまっすぐになり,神の栄光が現れ,生きとし生けるものすべてそれを見る」という,大きな変革のときが訪れる夢を見るのだ。

(大坂 訳)

*Aさん 「私には,アメリカの事情はよく分からないけれど,この演説は何かジーンときます。感動しました。」

*大 坂 「しかし,黒人解放運動もいろな路線が対立して決して一枚岩じゃなかったんだ。キング牧師は白人との対話路線を提唱し1964年にはノーベル平和賞を受賞したんだが,映画にもなって話題になったマルコムXなんていう人が率いるグループは対立強硬路線を主張したりしてね。結局その混乱の中で,1968年キング牧師は暗殺されてしまうんだ。」

*B 君 「うぁー,残念だなあ。」

*大 坂 「本当だね。でも,その後も彼の思想は脈々と現在の黒人運動に引き継がれているんだ。そして,この曲はその後の黒人運動の盛り上がりに感動したポール=マッカートニーが作ったといわれている歌なんだよ。」

BLACKBIRD   The Beatles 1968

ブラックバード   ザ=ビートルズ 1968年

(注)一般的に英国では,"blackbird" は「ツグミ」の類の「クロウタドリ」をさすが,ここではマッカートニーの意をくみ取りあえて「黒い」鳥と訳出した。

 1968年,ビートルズは,当時ポピュラー音楽では珍しかった2枚組のアルバム『ザ=ビートルズ』を発表した。このアルバムは,ジャケットが真っ白であったために通称『ホワイト・アルバム』と呼ばれている。あらゆるタイプの音楽が詰まったこのバラエティ豊かなアルバムの中で異彩を放つのが,アコースティック・ギターのオープン・コードを巧みに使用したこの『ブラックバード』である。マッカートニーはここで新たな局面を迎えつつあるアメリカの黒人運動に,心からのエールを送っているといえよう。

*B 君 「ちょっと抽象的なんで言われてみないと分からないけれど,印象的な曲ですね。」

*Aさん 「黒人運動の現状はどうなっているんですか。」

*大 坂 「例のシンプソン裁判からも分かるように,真の意味での解決にはまだまだ時間がかかるかもしれないけれど,その後また開催されたワシントンDCでの黒人大集会なんかを見るとそのパワーは健在だって分かるね。それに,一時はジェシー=ジャクソン師とか湾岸戦争の英雄で後に国務長官になったコリン=パウエル氏なんかが,初の黒人大統領候補と目されたりとかしてね。このままで行くと,今世紀の早いうちにアメリカ初の黒人大統領が登場するかもしれないね。」

*Aさん 「そうなったら,世界が変わるかもしれませんね。」

*大 坂 「まだまだ道は遠いかもしれないけれど,少なくとも確実な,前進のための第一歩になるのは間違いないだろうね。『ブラックバード』を作ったポール=マッカートニーは1982年には,人種差別の究極的な撤廃を歌った,こんな曲を発表しているよ。」

EBONY AND IVORY    Paul McCartney with Stevie Wonder  1982

エボニー・アンド・アイヴォリー   ポール=マッカートニー&スティーヴィー=ワンダー 1982年

(歌)1回目=ポール=マッカートニー/アイルランド系白人歌手,元ビートルズの中心メンバー
   2回目=スティーヴィー=ワンダー/アメリカの天才盲目黒人歌手
 かつてビートルズの中心的メンバーとして世界的な人気を誇ったポール=マッカートニー(アイルランド系の白人)は,1982年に発表したアルバム『タッグ・オヴ・ウォー』("Tug Of War", 「綱引き」の意)からの最初のシングル・レコードとして,この『エボニー・アンド・アイボリー』をリリースした。単純で覚えやすいメロディに乗せ,白人と黒人の人種問題をピアノの白鍵と黒鍵に例えて,

「白と黒は ピアノの上では 完璧な調和をもって並んでいるのに
どうして人間は 白人だ黒人だと 差別を行ったりするのだろう?」

と,理想主義的に高らかに歌い上げ,世界的な大ヒット曲となった。彼はこの曲を歌うに当たりアメリカを代表する黒人歌手のスティーヴィー=ワンダーにデュエットを要請したところ,ワンダーは快くそれに応え,ここに世紀の大デュエット・チームが結成された。我々はこの曲から"白人だ黒人だと差別・区別しあうことはことの善悪の問題以前にまったくナンセンスなことであり,我々は当たり前のこととして,世界にはさまざまな人間が住んでいて,その間には優劣の差は全くない"というマッカートニーの意志をくみ取りたい。

*Aさん 「差別かぁ。イジメのときにも考えましたけれど,"自分と違うものは排除せよ"という考え方はとっても危険ですね。」

*B 君 「黒人差別のほかには,どんな差別があるんですか?」

*大 坂 「たとえば…。」

1.アメリカの黒人・ヒスパニック(中南米系人)差別問題
 1960年代以後公民権法の制定によって人種間の法的差別はなくなったが,やはり黒人や,近年労働者として大量に入国しつつあるヒスパニックは冷遇され,ホームレス(家がなく路上で生活する人たち)の多くは彼らで占められている。

2.南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策
 人種差別を法制化していた南アフリカは,人権抑圧国として悪名が高かった。しかし日本は経済関係を通じて南アフリカともっとも関係が深い国にとなり,「名誉白人」とされ,望むか望まざるかは別にして間接的にアパルトヘイトを支えているとの国際的な批判を受けた。しかし,国際的な南アフリカ非難の声の中でついに南ア政府も法的にはアパルトヘイトを撤廃し,黒人初の大統領となったネルソン=マンデラ氏を中心に新たな歩みを開始した。だが,白人と有色人種間の経済格差の問題等残された難問は数多い。

3.ヨーロッパの移民排斥問題
 ドイツでは,東欧の変革以後大量の経済難民が押し寄せた。またフランスでも,旧植民地であったアルジェリアなどからの労働者の増加により白人の失業率が高まっている。そのため,排外主義をとる極右政党の勢力が強まり,職を失った白人が移民を襲撃するという事件が起きている。

 また,その他にも我が国を含めて多くの問題が残存しており,それらの公正な解決こそ現代社会に生きる私たちの急務とされている。

 日本の状況も決して楽観できるものではない。
 第一に,部落問題に対する公正な解決が急がれる。ついで,子どもの置かれた複雑な状況がある。近年多く報告されている「いじめ」や「不登校」「校内暴力」などの問題もただ表面的に捕らえるのではなく,重大な人権侵害と関係することが多いということも認識する必要があるだろう。さらに,「国際社会の中での日本」の認識にかかわる問題がある。かつて日本は「アジアでもっとも優秀な民族」としてアジア諸国を支配し,大東亜共栄圏を築こうとし,ついには戦争を引き起こした過去を持つ。しかし,近年その反省に立つどころか,今度は軍事力でなく経済力でアジアの盟主となろうとしている感がある。もちろんすべてが非難されるべきものばかりではなかろうが,日本は驕ることなく国際理解・国際協調をはかり,対外援助問題・外国人労働者問題・在日外国人問題・経済摩擦問題などを謙虚な姿勢で解決する必要があろう。そしてそれこそが,私たちが「国際社会で尊敬される日本人」となる道ではないのだろうか。 最後に1986年,中曽根首相(当時)の「単一民族国家」発言に抗議して来日したアメリカの人権活動家ジェシー=ジャクソン師の講演の一部を紹介しよう。

 子ども,老人,貧しい人々,こうした人々に対して,社会がどのような取り扱いをするのかが鍵になる問題です。日本政府が日本に存在する部落民,アイヌ民族,在日韓国・朝鮮人をどのように取り扱うかが,この国自身の文明化の本質を示す指標です。今,我々は力を合わせて戦争の惨禍の中から世界に名だたる経済大国へと成長し たこの日本を,さらに新しい日本へと作り変えなければなりません。

 この新しい日本とは,ただ単に貿易における黒字を追求するということではなく人権の面において黒字国とならなければならないと思います。

『社会啓発情報』第35号

*大 坂 「とにかくだ,違いを違いとして認めておたがいが違いの存在を当たり前のこととして受け取ることができるような社会を作ること,それが急務とされているんじゃないかな。そして,私がこの授業を通して君たちに訴えたいことは,まさにそのことなんだ。そしてそれこそが,結局は"基本的人権の尊重"ということになるのじゃないかな。」

*B 君 「へー,先生,まるで学校の先生みたいなことを言いますね。」

*大 坂 「○□△×。」

 1789年,フランス革命のさなかに出された「フランス人権宣言」は,以下のように人間の平等をうたった。

 「人は,自由かつ権利において平等なものとして出生し,かつ生存する。社会的差別は,共同の利益の上にのみ設けることができる。」(第1条)

しかし,それから200年,人間の歴史はそのまま人権抑圧の歴史と言ってもよいほどさまざまな矛盾に満ちている。しかし,2度の世界大戦を経て,人権擁護への新しい努力がなされるようになってきた。その集大成が,1948年に国連総会で制定された『世界人権宣言』である。この宣言は,人類史上初めて全世界のすべての人々の人権擁護を明らかにし,「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」としてこの宣言を位置付けている。そして,

 「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と,平等で譲ることのできない権利とを承認することは,世界における自由,正義および平和の基礎である」(前文)
 「すべて人間は,生まれながら自由で,尊厳と権利について平等である。」(第1条)

と,高らかに宣言し,国際的な人権擁護活動こそが,世界恒久平和へ通じる道であることを明らかにしたのである。  差別撤廃と人権確立に向けた国際連帯活動の中心となっているのは,何と言っても国連である。『世界人権宣言』の採択以後国連は20余りの条約を採択しているが,日本はそのうち8つの条約にしか加盟しておらず(1994年6月22日現在),今後の対応が待たれている。

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